競馬はギャンブルかスポーツか、それは競馬の永遠のテーマ。しかし、主役の競走馬が生き物であるという点で、ほかのギャンブルとは一線を画します。
「馬が走りたくない時ってあるの?」
「ゲート、なんで出遅れるの?」
この企画は、現役騎手や厩舎関係者がファンの疑問に答えながら、愛すべき競走馬たちの素顔を語る短期集中連載です。
まずは、元ジョッキーの赤見千尋さんが、ご自身の体験談を元にお届けするコラムをお楽しみください。
(文=赤見千尋)
競走馬は生き物である――当然のこととして頭ではわかっているけれど、ついつい忘れがちになってしまうのは、競馬にはギャンブルという側面が強いからではないでしょうか。「追い切りのタイムが良かった」「前走で好走している」「仕上がりは万全と関係者がコメントした」など、馬券を買う時に参考にする要素はいくつもありますが、いくら考えても確実に勝つとは限らないのが競馬の難しいところ。たまに地団駄を踏みたくなるくらい悔しい時もありますが……だからこそ面白いと感じます。
競馬のどの部分により惹きつけられるかは人それぞれで、ギャンブル性、スポーツ性、ドラマ性など魅力はたくさんあります。
わたし自身のことをお話すると、最初に魅了されたのはスポーツ性、競走という部分でした。自分も馬に乗ってレースに勝ちたいと考え、運よくその夢は叶ったわけですが、騎手として競馬界に入り、「馬は生き物なんだ」ということを知って離れられなくなりました。
高崎競馬の騎手時代、こんなことがありました。
ファーストルーチェという、わたしに10勝をプレゼントしてくれた牝馬のお話。騎手として通算91勝のうちの10勝ですからものすごい貢献度だし、高崎競馬最後のレース、さらに宇都宮でのわたしの引退レースでも勝ってくれて、本当に感謝してもし切れない、大好きな馬でした。
でもルーチェさん、とにかくプライドが高くて、わたしの手からは決してニンジンを食べようとしないのです。ニンジン自体は大好きで、厩務員さんがあげると喜んでムシャムシャ頬張るのですが、いくらわたしがニンジンを差し出しても「プイッ!」と横を向いてしまうし、しつこくあげようとすると、「ガー!」っと怒って威嚇する始末……。もしも言葉が話せたら、「あなたの手からは食べないわ!プイッ」という感じ。
それでも、レースになるとわたしの拙い技術でも一生懸命走ってくれるのです。プライドが高いので、とにかく接戦に強かった! 追い比べになったら絶対に負けない闘志の持ち主でした。
▲(C)トマス中田 バディプロダクション所属
もう1頭、こんな馬もいました。
JRAでデビューできずに未出走で移籍して来た馬のお話。高崎で走るためには能力検査(トレセンで行うレース形体での試験)で合格しなければなりません。普段の調教では何の問題もなくスムーズに走れていたのですが、能検の返し馬の時、突然右前脚を痛がって跛行したのです。
その時の能検は取り消し、獣医さんに念入りに診ていただきました。結果は「異常なし」。大事を取ってしばらく休ませてから、再び調教を開始し能検を受けることに。しかし、またもや返し馬で跛行したのです。
怪しい…
とは思ったけれど、この時も取り消して獣医さんに見ていただきました。結果はやはり「異常なし」。
もう一度休みを取って仕切り直し、3度目の正直で能検へ挑むことに。そして、返し馬でまたまた右前を痛がって跛行し出したのです。しかしその時、馬運車がコースの近くを通って「ガタンガタン」と大きな音がしました。彼はその音に驚いて全力ダッシュ! 右前の跛行なんてどこへやら……。
そう! 跛行は仮病だったのです!!
▲(C)トマス中田 バディプロダクション所属
普段競走馬に対して使う「頭がいい」「賢い」という表現は、その言葉の前に「人間にとって」という言葉がつくわけです。でも彼は、確実に賢い馬でした。どうすれば走らなくていいかをよく理解していましたから。
基本的に馬という生き物は走ることが好きですが、それは自分のペースで気持ちよく走ることが好きなのであって、「一生懸命走る」「疲れてもなお走る」ことが好きなわけではないと考えています。だからこそ調教で一生懸命走ることを教えていくわけですが、練習と試合が別物であることは人間であるわたしたちの方がよくわかっていることですよね。
今の日本では馬という生き物を身近に感じることが少ないので、どうしても画一的に見てしまいがちです。でも馬たちは、わたしたち人間と同じ十馬十色。寝坊助もいるし、神経質な子もいるし、女(牝馬)好きもいるし、マイナス思考な子もいるし、能天気な子もいるのです。
このコラムでは、愛すべき競走馬たちをもっと身近に感じられるエピソードを関係者の皆さんにご紹介していただきます。数字には見えない馬たちの心の動きをお楽しみに!
(次回はオジュウチョウサンのパートナー、石神深一騎手が登場します!)
【イラスト作者プロフィール】
トマス中田
バディプロダクション所属
兵庫県姫路市出身/昭和生まれ