当日行われた動画撮影にも、リラックスした表情で臨んだ山崎伸浩記者。
競馬のみならず、競輪も取り扱う高知の公営ギャンブル専門紙『福ちゃん新聞』。そこに在籍する、高知競馬に精通したスゴ腕のトラックマン、山崎伸浩―――。昨年、『ウマい馬券』に3月からの加入ながら回収率100%超をマーク。攻め馬の時計から編集業務まで何でもこなすというマルチトラックマンに、難解で知られる高知競馬攻略の極意を聞いた。
キャリアで培った自信に裏付けられた確証の◎
「最低でも回収率100%、“ソンをさせない予想”を目指しています!」
柔和な表情からは想像もつかない、力強く、そして大胆な一言。普段から競馬に携わっていれば、それが容易なことではないことはすぐにわかる。その自信の裏付けとなっているものとは―――。
「昔から“予想をすること”は好きでしたけど、それが記者になって仕事として行うようになって、予想に対する向き合い方は変わりました。素人のときは競馬新聞を見て、そこから予想を組み立てていたわけですけど、厩舎談話や時計という要素を取り込むようになったことで、それまでのボンヤリとした予想を裏付けられるようになり、自分なりの確証をもって予想を提供できるようになりましたから」
山崎記者の予想の特徴は、「メリハリをつけて打つダンゴとその買い方」にある。攻めるときは攻めて、堅いと思えば無理をしない。高知競馬では新聞社同士の暗黙の了解で、出走頭数に限らず5つまでしか印を打てないため、荒れそうなレースは手広く流す一方で、堅いと踏めば1点勝負もザラだ。
「スタンスですか? 基本的には穴予想ですね。といっても、何でもかんでも穴を狙うというわけではなく、どこかに穴を絡ませる形です。本命が堅そうなら対抗や単穴は人気薄、といった具合にね。重視しているのは、まずは馬の力関係。それと馬場適性。
とくに高知の場合は水はけが悪く、ほとんどが重や不良で行われるのですが、日替わりどころか、時間帯によって時計のかかり方が変わってくる場合があるので、主催者発表の馬場状態に惑わされないように、走破時計を見て判断しています」
ラップをとりながら、レースを見る山崎記者の眼差しは真剣そのものだ。
母の後押しがトラックマンへの道を切り拓いた
「もともと何でも“予想”をすることが好きで、この仕事は天職」と、胸を張る山崎記者。競馬の仕事の花形といえば騎手だが、騎手や助手など調教やレースで騎乗することに関してはまったく興味がなかったそうだ。
「確かに、同級生には調教師の息子さんや厩務員や助手の娘さんはいました。実際、打越師の弟は同級生ですし、雑賀師の息子とも同級でしたが、中学生までは競馬にそれほど興味がありませんでした。小学2年の時に競馬場が現在の場所に移転してきたんですが、競馬を見ることすらなかったです。
興味を持ちだしたのは高校からで、それからは勉強しなくなりました(笑)。高校1年の頃に友達と競馬場に行ったのが直接のキッカケです。その日のメインはただのオープンだったんですが、牝馬ながら高知県知事賞を勝ったミスピノキオを見に行ったことを覚えています」
生まれも育ちも高知で、しかも自宅から目と鼻の先に競馬場があった環境にありながら、中学1年時に訪れたオグリキャップブームと武豊騎手の存在ぐらいしか知らなかった山崎記者が、競馬を職として選ぶようになったキッカケ―――。それは母親のひと言が大きかったのだという。
「もともと実家は農家で、メロンを作っているんです。それで高校を卒業して、農業を専門にしている大学に通ったんですが、いざ就職を考える時期になったときに、あとを継いで農業の道に進むべきか、好きな競馬にかかわる仕事に就くのか、かなり迷いました。
父からは『実家を継げ』といわれていましたが、母が『農業に向いていないから、好きな仕事をしたほうがいい』と、背中を押してくれたんです。その母のひと言が決定打となり、この世界に飛び込みました」
祖父が高知競馬で馬主をしていたこともあり、競馬に関しては理解があった家庭環境だったことも幸いした。
「昔は祖父に連れられて、厩舎に行ったこともありましたし。トラックマンになると決めてからは、とくに父を説得することもありませんでしたね。『福ちゃん新聞』を選んだのは、馬主をしていた祖父が先代の社長と親交があって、紹介してもらったのがキッカケです」
『中島競馬號』の風間記者と、記者選抜編成会議で出走馬について話し合う山崎記者。
さまざまな業務に従事するマルチトラックマンとして
こうして思い描いていたトラックマンへの道を歩み始めた山崎記者。今年でキャリア21年目になるが、1週間まるまる競馬漬けの毎日を過ごしている。
「月曜は2週間に1回ほど記者選抜レースの編成会議があり、火曜は出走メンバーの前走のおさらい。水曜、木曜は攻め馬の時計をとり、会社でデータ入力なども行います。主に休めるのは金曜ですね」
中央の場合、レースが行われている土曜もしくは日曜を休みに充てる記者もいるが、高知競馬の場合、基本的に土日は競馬場でレースを見るのが通例で、山崎記者はレースを見て、時計もとっている。夏期、冬期で忙しさの度合いは異なるが、こうした1週間のルーティンワーク以外にも月1回、地元のケーブルテレビでレース展望の収録をすることもあり、その日々は多忙を極めている。
「確かに忙しいことは忙しいですけど、好きなことを仕事にしているわけですから。もともと『トラックマン=調教を見る』というイメージがあったので、それほど仕事に対してのギャップはなかったですね。入社当時から厩舎取材というより調教を見ることがメインで、当時はいわゆる“時計班”という立ち位置。レースではラップをとっていました」
入社当時は4人体制で、入社6年目までは調教の時計をとるのがメインの仕事だった。現在の2人体制になった7年目以降、業務内容も少し変わり、時計以外の業務にも幅広くかかわるようになった。
「今はスタッフが少なくなったこともあり、時計業務はメインで行いつつも、厩舎取材のサポートとして談話を取りにいくこともありますし、その取材内容を会社で入力するという編集的な業務も行っています。もちろん、原稿を書いたりもします」
予想の花形であるダンゴを打ち始めたのは3年目のこと。時計を取りながら厩舎班から話を聞いて、それを総合的に判断して印を打ってきたが、樹木が年輪を重ねていくように、山崎記者の予想も場数を踏んできたことで、その印にも重みが増してきた。
今では、固定ファンの信頼も厚い。土佐だけでなく、全国の競馬ファンの心を捕らえて離さない、山崎記者の繰り出す◎に今後も注目していきたい。
設備はかつて鉄火場だった頃の面影を残しているが、場内はのんびりとした雰囲気が漂っており、パドックでもヤジが飛ぶことはほとんどない。
山崎伸浩は『ウマい馬券』で高知競馬の予想を公開中!