鈴木伸尋調教師とトモジャポルックス(C)netkeiba.com
「何かできないか…」調教師だからこそ感じる難しさも
今年5月に「『引退競走馬の養老・余生等を支援する事業』(2019年度)について」と題して、JRAからニュースリリースが出された。馬に関連する様々な関係者が委員となって「引退競走馬に関する検討委員会」が2017年12月に設置され、これまで協議・検討が重ねられてきた。その取り組みの1つとして「引退競走馬の養老・余生等を支援する事業」が行われることになり、どのような事業内容かを説明するというのが、リリースの内容だった。(
http://jra.jp/news/201905/050601.html)
この「引退競走馬に関する検討委員会」の委員の1人に名を連ねているのが、美浦の鈴木伸尋調教師だ。鈴木伸師には、昨年、この検討委員会についてインタビューしており、その中で以下のように話をしていた。
JRAを中心とした引退馬のキャリア支援組織設立へ 美浦・鈴木伸尋調教師に聞く(1)「引退した馬のその後については、ずっと頭の中にありました。実際に馬を引き取って頑張っている人たちも知っていましたし、話を聞いたりもしていましたが、馬の面倒をみていくというのはかなり大変ですし、個人ができることには限界があると感じていました。中央競馬の場合、1厩舎に1世代20〜25頭くらいいるとして、3分の1は勝ち上がると計算しても、あとの3分の2の馬全部の面倒をみることはできませんし、調教師の立場ではこの馬は面倒を見て、あの馬は面倒を見れないという線引きも難しいですからね。(〜中略〜)線引きができないとか頭数が多いとかいろいろな理由をつけて、その問題から逃げていたところがありますね。ただ引退馬については、何かできないだろうかとずっと考えてはいました」
引退競走馬のその後について語る鈴木伸師(C)netkeiba.com
「その問題から逃げていた」という鈴木伸師の言葉が、個人的にとても響いた。私自身引退した馬たちの多くが天寿を全うできない現実を知ってからも、長い間その問題から目をそらし続けて競馬に関わってきたからだ。そして「どうあがいてもすべての馬を助けることはできない」など、自分に都合の良いたくさんの言い訳を並べながら、引退競走馬の現実から逃げ続けてきた。
今は1頭の引退馬を引き取ったことにより、以前よりは問題と向き合っているとは思うが、引退競走馬の問題を知るほどに、山積みされた課題が多い現実をつきつけられ、気持ちが滅入りそうになることも多々ある。だが1頭の命を引き受ければ、馬との関係も当然濃くなる。それに比例して、馬という生き物についてより深く知って、馬の持つ大きな可能性を感じるようにもなった。馬にはこれは難しい、あれは無理と枠を作っているのはむしろ人間の方なのだ。私の元にやって来た1頭の牝馬が、馬の持つ可能性を教えてくれた。これは個人的にも、引退馬の問題を考えていく上でも、とても大きな一歩だった。
“猛獣”がいまでは穏やかな馬に!?
鈴木伸師が美浦近郊の阿見乗馬クラブに自ら管理していた元競走馬を預けたと聞いたのは、今年の初め頃だったと記憶している。それはトモジャポルックスという芦毛の馬だった。
「現役時代はうるさかったのに、拍子抜けするくらい今は良い子だよ」と師はポルックスが話題になると相好を崩す。
線引きが難しいという理由で、以前は管理馬を引き取ってこなかった鈴木伸師だが、「引退競走馬に関する検討委員会」で、この問題に向き合うようになって、どこか心境に変化があったのかもしれないと思い、再び師にインタビューをすることにした。
待ち合わせ場所は、稲敷郡阿見町にある阿見乗馬クラブ。アザラシのシャドーロールで人気を博したイチャキナが第二の馬生を送っているクラブでもある。イチャキナは、パドックに放牧されていたが、顔付きが以前より穏やかになっていた。のどかな雰囲気に徐々に慣れ、もう競馬で走らなくていいということを理解できてきたのかもしれない。木々に囲まれ、鳥や虫の鳴き声がする自然の中にいると、人はもちろんのこと馬も当然癒されるのだろう。
アザラシのシャドーロールで話題!イチャキナ 今もファンに愛される金沢のアイドル(1)イチャキナ。人懐っこく、しきりにこちらに向かって首を伸ばしていた(C)netkeiba.com
やがて阿見乗馬クラブ代表の松永光晴さんに引かれて、トモジャポルックスがゆったりとした足取りでこちらに歩いてきた。芦毛の馬体に黒い瞳が愛らしい。
トモジャポルックスは2013年4月12日生まれの6歳。北海道は新ひだか町にある田中裕之さんの牧場で生まれた。父はゴールドアリュールで、母がビジューブリアン。その父がメジロマックイーンだから、芦毛は多分祖父譲り。母系を辿ると、4代母のシャダイワーデンは1986年の皐月賞馬ダイナコスモスを輩出。ブリーダーズGC、平安Sなどダート重賞5勝のメイショウトウコン、函館記念優勝のクラフトマンシップ、AJCCなど重賞3勝のクラフトワークらがこの母系から出ている。ちなみに鈴木伸師は、86年皐月賞馬のダイナコスモスをはじめ、トモジャポルックスの祖母のエナジーストーン、曾祖母のルナオーキッドを管理していた沢峰次厩舎で調教助手をしており、この牝系とは元々縁があった。
阿見乗馬クラブ代表の松永さんとトモジャポルックス(撮影:佐々木祥恵)
2歳になったポルックスは、北海道トレーニングセールで1112万円で購買され、吉冨朝美氏の所有馬となり、鈴木厩舎に入厩してきた。
競走馬生活を終えて、目の前にいるポルックスは、時折、尻尾を振ったり後ろ脚を上げたりしてハエを追う仕草を見せるものの、それ以外は静かに佇んでいる。この穏やかな馬は、果たして競走馬時代はどのような性格だったのか。うるさい馬だったとは何度か聞いてはいたが、改めて現役時代のポルックスについて鈴木伸師に尋ねてみると
「猛獣に近かったですよ(笑)。入厩した時からカン性が強くて、立ち上がったりしていましたし、女の子も大好き。噛む癖もあって、結構大変でした」
という答えが返ってきた。やはりうるさくて、かなりヤンチャな馬だったようだ。
いまでは“猛獣”が想像できないほど穏やかに(撮影:佐々木祥恵)
デビューは2015年の9月6日。新潟競馬場の芝1800mの新馬戦で2番人気に支持されたものの5着と敗れている。2戦目以降はゴールドアリュールという血統も考慮されたのか、ダートに路線を変更し、4戦目の2015年11月の東京ダート1400mの未勝利戦で初勝利を挙げた。だがこの後、500万クラスを勝つのにかなりの時間を費やすこととなる。
「トレーニングセールの購買馬で能力はあったのですが、馬込みが嫌いだったり、カッとして引っかかったりと、最初の頃はコントロールがうまくいきませんでした。前に行ってみたり、中団や後方から競馬をしてみたりといろいろ試しました。そうするうちに馬込みや砂を被るのに慣れてきたのもあって、成績も安定してきました」
そして2018年3月、中山競馬場の4歳以上500万クラスで、ついに2勝目を手にした。だがその後、1000万クラスでは昇級の壁が立ちはだかったため、陣営は障害レースへと活路を求めた。
中山ダート1200mでの2勝目。初勝利から約2年4ヶ月(撮影:下野雄規)
(つづく)
※鈴木伸尋調教師のインスタグラム「引退競走馬の今」
https://www.instagram.com/shenxunlingmu__suzuki/?hl=ja現役調教師が引退競走馬の今を発信しています。トモジャポルックスの情報もこちらで見られます。
※阿見乗馬クラブ Facebook
https://www.facebook.com/joba2017ami/