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夢を追いかけ続けた名馬たち

  • 2019年09月14日(土) 12時00分

打たれても立ち上がる姿を見るのも競馬の魅力


 青春はまばゆく、生命力にあふれているが、自分を模索し夢を追いかけながらも、叶えられることは少ない。まるで現実を自覚する旅をしているようなものだが、だからこそ、目の前を駆ける馬たちに想いを馳せてきたところがある。それも、ひたすら勝ち続ける馬ではなく。
 
 そうした一頭にステイゴールドがいた。言わずと知れたシルバーメダリスト。GI2着4回ありながら、ステップレースのGIIも負け続け、なんと28連敗。それでも小さな馬体に強い精神力で全50戦のうち36戦連続重賞を戦い、7歳(旧年令)で目黒記念、8歳で日経新春杯、ドバイシーマクラシック、そして最終50戦目でついに香港ヴァーズでGIを初めて勝って引退していた。

 50戦7勝、重賞は全部で38戦して4勝ながらも、5年に及ぶ現役時の存在感は、大きかった。この晩成だった現役時そのままに、種牡馬になってからもその産駒たちには晩成型が多く、類稀な成長力でレースを盛り上げてきた。

 追いかけ続けて夢を叶えるところに、快感すら覚えるものがあり、生涯を終えた今でも、いつも身近にいる名馬と言っていい。

 これより少し前にも、似たような名馬がいた。ナイスネイチャ、ホワイトストーンといったところだが、1990年前後から数年間、競馬ファンを酔わせた存在だった。いずれも秋の菊花賞のステップレースを勝って名を上げていた。ナイスネイチャは、京都新聞杯を勝って菊花賞は4着だったが、有馬記念に5回出走して最初の3年間は連続して3着に入っていた。

 6年現役を続け41戦7勝、34戦続けて重賞に出ていたが、トウカイテイオー、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン、マヤノトップガンなどが当時のチャンピオンで、ナイスネイチャはジリ脚ながらもレースをあきらめない姿勢がうれしかった。

 もう一頭のホワイトストーンは、これより一世代上で、1990年の有馬記念、オグリキャップがラスト・ランを飾った一戦で3着に入っていた。旧4歳時で、春は、弥生賞3着で出走権を得て皐月賞8着、ダービーはNHK杯3着で出走権を得て3着と健闘していたが、秋はセントライト記念で4馬身と圧倒的パワーで一気に抜け出して勝ち、約1ヵ月後の菊花賞はメジロマックイーンに屈しはしたが2着と、存在を示していた。

 4歳時のジャパンCで4着ながら日本馬最先着を果たし、オグリキャップの有馬記念では1番人気に支持されていた。32戦4勝ながら8歳の1月まで走り、28戦連続重賞を走っていた。これはナイスネイチャに破られるまで記録となっていたが、ともに夢は叶えられなかった。

 打たれても打たれても立ち上がる姿、これを見るのも競馬の魅力。ステップレースからその後のシーンまで、見続けていきたい。夢を追いかける姿にめぐり会えるから。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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