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スポーツ誌の競馬特集とラグビーの歴史的勝利

  • 2019年10月03日(木) 12時00分
 本稿がアップされる10月3日、木曜日、スポーツ誌「Number」987号が全国の書店で発売される。第1特集は競馬で、うち半分ほどは7月30日に世を去ったディープインパクトに関するページだ。私も2つの記事を担当した。

 当初、表紙は武豊騎手とクリストフ・ルメール騎手のツーショットに決まっていたらしいが、校了前の9月28日(土)、ラグビーW杯で日本が強豪アイルランドに歴史的勝利をおさめた。それにより、急きょ表紙をラグビーのものに差し替えることになった、と、週明け、同誌の宇賀康之編集長から連絡があった。もちろん、競馬特集のページ数は変わらない。

 申し訳なさそうに話す宇賀編集長に、私は「それはみんな納得すると思いますよ」と答えた。

 宇賀編集長は新入社員だったときから大の競馬ファンで、私と一緒に同誌の競馬特集のページをいくつもつくってきた。武豊騎手のダービー初制覇と連覇のインタビューも彼が担当したし、サイレンススズカがレース中に骨折した天皇賞・秋も私と一緒に東京競馬場で観戦していた。

 そんな彼が決断したことだし、アイルランド戦の勝利は日本のスポーツ史に残る偉業なのだから、関係者はみな彼の判断を支持しているはずだ。

 間違いなく、この競馬特集号は、ラグビー効果もあって、たくさん売れるだろう。

 私たちプロの物書きは、どんなに立派なものを書いても、誰にも読まれなければ、書いていないのと同じと言える。

 ディープインパクトというサラブレッドの素晴らしさや、競馬のダイナミックさ、奥深さを、より多くの人に知ってもらういい機会だと思う。

 今回の「Number」の取材で、池江泰郎元調教師のお宅にうかがい、ディープの現役時代について話を聞かせてもらった。

 2011年の2月限りで調教師を引退し、それから8年以上も経つわけだが、馬に傾ける情熱も、優しい語り口も、そして、体型までも調教師時代と変わっていない。定期的にジムでトレーニングをつづけており、さっと見せてくれたふくらはぎの盛り上がりなどは、とても78歳とは思えない。

 今回は、現役最後の秋となった2006年の凱旋門賞のあとから有馬記念までの3カ月弱に絞って取材したのだが、その余談のような形で、当然と言うべきか、日本ダービーの話も出てきた。

 池江元調教師は、馬事公苑で騎手を目指していた1956年、仲間たちとともに初めて日本ダービーを観戦した。のちに日本馬として戦後初の海外勝利を挙げるハクチカラが勝ったレースだった。

「1コーナーを回るときに2頭が落馬したんです。いやいや、競馬というのは怖いものだな、と思いました」

 ハクチカラに騎乗していたのは、同馬とともにアメリカに遠征し、日本にモンキー乗りをひろめた保田隆芳氏だった。

「大尾形」と呼ばれた尾形藤吉厩舎の主戦として活躍していた保田氏も「ダービーだけは勝てない」と言われており、36歳だったこのときがダービー初勝利であった。

 ハクチカラは、アメリカ遠征から帰国したのち種牡馬となったが、これといった産駒を送り出すことができず、1968年2月、インドに寄贈された。池江元調教師は言う。

「昭和50年(1975年)ごろ、私は騎手としてインドに行ったんです。そのとき、向こうで種牡馬になっていたハクチカラを見に行きましてね。帰ってきてから、保田さんに報告しました。それから何年もしないうちに、ハクチカラは亡くなりました」

 インドで数頭のクラシックホースを送り出すなど活躍したハクチカラは、1979年、老衰のため死亡した。

 池江元調教師が調教師として栗東に厩舎を開業したのもその年だった。

 結局、騎手としてダービーに参戦したのは、1973年、ボージェストで最下位の27着に終わった一度だけだった。

 調教師としては、2004年まで6頭の管理馬を出走させていたが、2000年のアタラクシアによる3着が最高の成績だった。

 そんな池江元調教師は、2005年、ディープインパクトで第72回日本ダービーを制し、ついにダービー初勝利の栄誉に浴する。

 レース直後、検量室前で、池江元調教師はカメラに囲まれていた。

「ダービー言うたらね……」

 そこまで話したところで言葉に詰まった。池江元調教師が、レース後に涙を見せたのはこれが最初で最後であった。

 初めて見た激しいダービー。その勝ち馬とインドで再会。主戦騎手だった保田氏は、池江元調教師の最後の師匠だった浅見国一元調教師と1歳違いで、東西に分かれてはいたが、ライバルであり、盟友でもあった――。

 ダービー後の涙の意味の背景にあったものを、今回の取材で知ることができた。

 さて、今週土曜日、10月5日の午後2時から、根岸の「馬の博物館」でグリーンチャンネル「草野仁のGate J.+(プラス)」の公開収録が行われる。ゲストはコイウタなどの馬主としても知られる、歌手の前川清さんだ。

 私もVTR部分で同博物館の秋季企画展「名馬と武将」を紹介するロケに参加する。

 風がずいぶん秋らしくなってきた。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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