金沢競馬場に初めて会いに行った時のビッグゴールド(提供:ビッグゴールドサポーターズクラブ)
初めて間近で目にしたゴールドの姿に…
ビッグゴールドの出走に合わせて岡本義徳さん、朋子さん夫妻が初めて金沢競馬場に出向いたのは、2008年4月14日のことだった。残念ながらこの日は10着と精彩を欠いたが、レース終了後に加藤調教師に電話を入れてみると「厩舎にいらしてください」という誘いを受けた。
信じられない気持ちで2人は厩舎を訪ねると、レース後の手入れを受けるゴールドが洗い場に繋がれていた。その姿を目にした朋子さんは、思わず号泣。義徳さんは会えた感動もあったが、走り終えたばかりで馬体からは湯気が上がり、その馬体からは強烈なオーラが発せられ、表情も怖かったという。朋子さんも「競走馬のオーラってこんなにすごいんだ」と圧倒されていた。
走り終えたばかりのビッグゴールド。競走馬のオーラは圧巻(提供:ビッグゴールドサポーターズクラブ)
担当厩務員はゴールドについていろいろと教えてくれて、連絡先の交換もできた。この日を境にビッグゴールドとの距離が、一気に縮まった。
初対面から1か月もたたない5月6日、ゴールドの出走に合わせて再び金沢競馬場を訪問。その後も折に触れて金沢に足を運び、ゴールドや厩舎関係者と親交を深めた。金沢に行く際は、感謝の気持ちを込めての手土産とゴールドへの人参も忘れなかった。4度目の金沢訪問となった7月21日には、名古屋と大阪から来たファン3名も同行しているように、ゴールドはファンの多い馬でもあった。
暑さに弱いゴールドは夏休みをもらい、秋初戦は9月9日(4着)を皮切りにレースを重ねていく。夏休みを挟んでしばらく金沢から足が遠のいていた岡本さん夫妻は、10月26日に厩舎宛てに宅配便で人参を送った。
中央競馬を引退した後の行き先として記載された乗馬施設を可能な限り調べた日々、金沢競馬に移籍して6戦をしたのち、長期に渡ってレースに出走せず、地方競馬全国協会のHPで登録を抹消されていないかの確認を続けた毎日…。その時のような不安な思いを2度としたくないし、せっかく繋がったゴールドとの縁を手放してはいけない。岡本さん夫妻にはそんな思いがあったのだろう。埼玉から金沢まで決して近くはない距離を時間を見つけては通い、間があけば人参を送るなどコンタクトを取った。
秋になって初めて金沢に出向いたのは、11月9日。その翌週に出走を控えた金沢の重賞・北國王冠は都合が悪くて応援に駆けつけられないため、前週の訪問となった。その年の春から始まった岡本夫妻の金沢詣でも5回目となり、この時に翌2009年シーズンも現役を続行することを知らされた。年が明けるとゴールドは、下級条件のC級に降級する。年齢的なものを考えると往年の力は望めないにしても、もう1度勝たせてあげたい。降級すればそれも叶うのではないかという、陣営の強い思いがそこにはあった。
2008年6月15日、金沢・百万石賞出走時(提供:ビッグゴールドサポーターズクラブ)
重賞の北國王冠は7着だったが、あわや3着には入るかという見せ場を作って健在ぶりを示した。
秘めていた思いを打ち明ける時が
年が明けて2009年。ゴールドは明け11歳になった。登録のあった1月2日のレースは、馬場が悪くなる可能性があったため、長期休養の要因ともなった脚元への負担も考慮されて出走は見送られた。それでも年始の挨拶を兼ねて、岡本さん夫妻は金沢へと向かった。だが雪のために車で山越えができず、途中長野から電車を乗り継いで金沢へと入った。車に積んでいた人参一箱は長野から宅配便に託した。
何とか辿り着いた岡本さん夫妻に、北國王冠で使用したゼッケンが担当厩務員からプレゼントされた。その心遣いに感謝しながら、夫妻は勇気を奮ってビッグゴールドの引退後の引き取りを担当厩務員に正式に伝えた。所属厩舎とある程度の関係を築くまではと、ずっと秘めてきた思いだった。担当厩務員からは、馬主が手放すような時には連絡するという返事をもらった。初めて加藤調教師と連絡をとってから、ゴールド引き取りに向けてさらにまた一歩進んだ。
岡本さん夫妻は競馬ファンではあったが、初めは引退した競走馬の引き取りはおろか、引退競走馬の現実についてほとんど知識がなかった。だがナイスネイチャを生産した渡辺牧場の渡辺はるみさんが書いた「馬の瞳を見つめて」という1冊の本を読んだのがきっかけで、引退した競走馬のその後に関心を持つようになった。(※詳細はこちら
【特別企画】生産馬に対しての責任 ―渡辺牧場の信念と愛情/引退馬の現状と未来)
その流れでイグレット軽種馬フォスターペアレントの会(現・認定NPO法人引退馬協会)の存在を知った。フォスターペアレントの会では、会が所有するフォスターホースを会員で支える里親制度―いわば引退馬版の1口馬主制度―の仕組みを知ることとなった。(他にも支援の方法がいくつかあるので、興味のある方は引退馬協会HPをご確認ください)。朋子さんは興味を持って資料を眺めてはいたが、当時はフォスターホースになっていた馬たちについての詳細な情報を持ち合わせていなかったので、特定な馬を支援するのではなく、会全体の活動を支援する一般会員になろうと考えていた。だがフォスターホースを撮影していた望月ひろみさんの写真展に足を運んだ折、心境の変化が起こった。
「当時はネットもやっていませんでしたし、グラールストーン(フォスターホースでナイスネイチャの弟)が栗毛だということを、写真を見て初めて知ったんです」(朋子さん)
写真の中の馬たちの素の姿が心に響き、フォスターホースを繋養していた施設の1つ、千葉県の乗馬倶楽部イグレットで定期的に開催されていたフォスターホースとふれあうイベントに足を運んだ。
「フォスターホースになりたてのシンボリクリヨンがすごく可愛くて、この子の里親になろうと。あともう1頭、北海道の牧場(前出の渡辺牧場)にいるセントミサイル(1993年クリスタルC・GIII優勝)を選んで、それぞれ半口ずつ支援することにしました」(朋子さん)
渡辺牧場で暮らしていたセントミサイル(ユーザー提供:すみれさん)
「この団体は大丈夫なのか?」と当初は懐疑的だった義徳さんも、馬と直接触れ合うことによって、その疑念は一気に吹き飛んでいた。
「イベントの帰りに顔が変わっていました。すごく楽しそうな顔をしていたので、あっ、嵌ったなと思いました(笑)」(朋子さん)
それからは会のイベントに足繁く通うようになり、そこに集まる人々との交流から、引退馬事情についての情報もたくさん入ってくるようになった。
「頭でっかちにはなりましたが、その頃はまだ実際に馬を引き取るという感覚にはならなかったですね」(義徳さん)
ただ熱心にイベントに顔を出していたこともあり、会を法人化する際のプロジェクトにも参加するなど、岡本さん夫妻はどんどん引退馬の世界に引き込まれ、馬の引き取りの下地は自然と出来上がっていた。そしてとうとうビッグゴールドの余生の面倒をみようと決意をした2人は、担当厩務員にその意志を伝えるに至ったのだった。
(つづく)
ビッグゴールドサポーターズクラブ
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