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偶然と必然の間

  • 2019年12月19日(木) 12時00分
 先々週のことだが、新千歳空港で、「グンちゃん」こと競馬ライターの軍土門隼夫さんにばったり会った。私は、ニンニクが強烈に効いたトンテキを食べたあと、口直しのソフトクリームを手にロビーのテーブルについたところだった。そのとき、ひとつ置いたテーブルにいたグンちゃんが、こっちに手を振っていることに気がついた。

 私は介護帰省からの帰りで、彼は贔屓の川崎フロンターレの試合を札幌ドームで見てきたところだという。

 競馬場では毎週グンちゃんと顔を合わせているのだが、予期せぬ場所で知った顔を見つけると、不思議な気持ちになるものだ。

 これは「偶然」と言うべきなのか。しかし、私は月に何度も新千歳空港をウロウロしているし、グンちゃんも馬産地取材などで北海道に行くことが多い。空港で互いの動線が交錯するのは「必然」とも言える。とはいえ、あのとき、ソフトクリームを持っていた私は、そのまま上のフロアの新千歳空港温泉に直行しようか、このフロアで座って食べようか迷っていた。たまたま空いているテーブルが目に入ったので座ったが、それに気づかなければ、グンちゃんの背後を通ってエスカレーターに乗っていた。やはり、偶然でもある。まあ、「偶然のような必然」というか、「必然のような偶然」、あるいは「偶然と必然の間」といったところか。

 いわゆる「発見」というのは、そうした「偶然と必然の間」から出てくることが多いように思う。

 私が1936(昭和11)年に日本初の女性騎手となった斉藤すみの存在を知ったのは、今から20年ほど前、雑誌の図書館として知られる大宅壮一文庫の分厚い索引を見ていたときだった。調べていたのは、日本にモンキー乗りをひろめた保田隆芳元騎手・調教師のことだったのだが、ひととおり資料となる記事を読み終え、何とはなしに索引を眺めていたとき、斉藤すみについて記した記事があることを発見した。その記事を書いた人がいるのだから正確な表現ではないのかもしれないが、私にとっては紛れもなく「発見」であった。

 索引を見ていたのも、その記事に気づいたのも、たまたまだった。なので、偶然とも言えるが、1920年に生まれた保田隆芳のことを調べていたのだから、7年しか違わない1913年に生まれた斉藤すみに関する記事に行き当たったのは必然とも言える。

 つまり、こういうことだ。何かひとつの分野やテーマについて突き詰めて考えているときに、ふと目に飛び込んでくる、一見無関係に思える対象に、いかに出会うか。そこからいろいろひろがっていくことが多い。

 適当な譬えかどうかわからないが、世界中のスパイスを研究しながらカレーのメニューを考えている人が、たまたま食べた和食で「これだ!」というカレーに生かせる刺激を舌に感じることがあれば、その人にとっての「発見」となるのではないか。

 書いているうちに、自分が何を言おうとしているのかわからなくなってきた。

 さて、少し前に、東京オリンピック観戦チケット抽選結果のメールが届いた。厳選なる抽選を行った結果、誠に残念ながら、申し込んだチケットは用意できなかったという。

 これは、外れるのが必然、当たるのが偶然、と考えるべきなのか。

 レースにおける偶然と必然にはどんなものがあるのか。例えば、逃げると思われていた馬がたまたま出遅れた……というケースであっても、入れ込んでいたり、人馬が呼吸を合わせるタイミングがズレたりと、合理的に説明がつくケースがほとんどなので、必然と言うべきだろう。思考力と感情を持つ人と馬による競走であるから、ゲートが開いてからの動きはほぼ必然となる。偶然は、文字どおり、英訳にもなっているアクシデントぐらいだ。

 つまり、必然の積み重ねがレース結果ということだ。にもかかわらず、結果を予測するのは難しい。それは、必然として生じる結果に幅があり、ゴールするときには大きな幅になっているからだろう。

 そう考えると、馬券が当たらないのも必然なのか。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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