突然ですが、Mr.Childrenが大好きです。彼らの「HERO」という曲にこんな歌詞があります。「ヒーローになりたい ただ一人、君にとっての」。小中学生だった頃、私にとってのヒーローはテレビの向こうでビッグレースを勝つ馬やジョッキーでした。
では、そのジョッキーたちにとってのヒーローは誰なのでしょうか?地方競馬のトップジョッキーたちが大きな夢を追いかける時、心の支えになった「ヒーロー(馬)」について聞いてみました。
赤岡修次騎手(高知)
オルフェーヴルもビックリな逸走から勝利!乗り味抜群の牝馬
▲赤岡騎手は2年目に出会った牝馬のことを語ってくれました
高知競馬の売り上げが低迷していた時代、親交のある武豊騎手(JRA)に相談して高知でJRA騎手を呼んだイベントを実施するなど、高知再生のヒーローでもある赤岡修次騎手(高知)。そんな彼にとってのヒーローは、衝撃的な乗り味の3歳馬(現2歳)でした。
「イージースマイルという馬がいたんですが、乗り心地がすごくて、その衝撃は今でも忘れられません」
その牝馬との出会いは、赤岡騎手がデビューして2年目、1996年の夏でした。
「入厩した次の日に乗ったんですが、跨った瞬間に『どこのオープン馬ですか?』って聞きました。そしたら『昨日来たばかりの3歳だよ』と。思わず、『この馬、県外(遠征)に行けますよ』と言いました」
入厩当初から古馬オープン馬と間違えるほどの乗り味の良さを持っていた牝馬はデビュー戦を勝利。赤岡騎手の期待通り、その後も連勝を伸ばしていきました。
しかし、初めて1300m戦に出走した時、事件は起きました。
「1コーナーを回ってすぐに外ラチで止まってしまったんです。ビックリしました。200mくらい離されてしまって、さすがに負けるかと思いました」
初の黒星が頭をよぎりましたが、再び走り出すとみるみるうちに前との差を詰めて見事、勝利。オルフェーヴルもビックリの逆転劇で、「後にも先にも、そんな競馬をしたのはこの馬だけ。モノが違うなと感じました」と述懐します。
翌年には佐賀に遠征し、重賞・花吹雪賞を制覇。引退するまでの22戦すべてで赤岡騎手とコンビを組み、高知優駿(黒潮ダービー)をはじめ手にした重賞タイトルは5つにのぼりました。
若かりし日の赤岡騎手にいろんな意味での衝撃を次々と与えたイージースマイルとの日々は、さぞワクワクしたことでしょう。
赤岡騎手の重賞初制覇も、他地区での初タイトルも、地元のダービー・高知優駿初制覇も、すべてイージースマイルとともにでした。しかし、それ以上に「乗り味の印象が強くて、それだけは今でも覚えています」といいます。
どんな苦境に立たされても最後には必ず勝つヒーローのように、圧倒的な強さを見せたイージースマイルは赤岡騎手にとってヒーローでした。
佐藤友則騎手(笠松)
ジョッキーになるきっかけくれた笠松の名牝
▲佐藤友則騎手からは、初めて競馬を見た時のエピソードを…
笠松を代表するジョッキーで、JRAにも頻繁に遠征し10勝を挙げる佐藤友則騎手(笠松)は、初めて競馬を見た1頭がヒーローになったと振り返ります。
きっかけは教育実習の先生。
「中学2年生の時、教育実習の女性の先生が自己紹介で『私は笠松町の出身で、地元の笠松競馬場ではライデンリーダーという馬がJRAに挑戦しています』と話していました」
地方・笠松競馬場でデビューしたライデンリーダーは安藤勝己騎手(当時)とのコンビでデビューから無敗の10連勝。その後、満を持してJRA遠征した重賞・報知杯4歳牝馬特別(現・報知杯フィリーズレビュー)も3馬身半差で勝ち、いよいよ牝馬クラシック・桜花賞へという時でした。
家族に競馬関係者がいたわけでもない教育実習の先生。20代前半の彼女も虜になるほど、地元は盛り上がっていたことでしょう。ライデンリーダー・フィーバーは佐藤騎手の元にもやってきました。
「福井県の若狭湾で研修旅行中に、教育実習の先生が『みんなで桜花賞を見ましょう!』と言ったんです」
初めて見た競馬は想像以上に面白く、クラスメイトと「おぉー!」と歓声を上げながらテレビの向こう側のライデンリーダーを応援しました。地方馬ながら1番人気に支持されたライデンリーダーは4着。勝つことはできませんでしたが、一緒に盛り上がったクラスメイトの1人が「あれ?友則、背が小さいから騎手になれるんじゃない?」と言い出しました。その声は広がっていき、レースの興奮冷めやらぬ佐藤騎手も「俺、なるわ!」と答えていました。
「それでこの世界にのめり込んじゃいました。中学3年生の時は受験勉強よりも笠松競馬を見に行っていました」
それまで佐藤少年にとってのヒーローはNBAのマイケル・ジョーダン選手や“ミスター・ドラゴンズ”立浪和義選手だったのが、桜花賞を機にライデンリーダーに変わり、自宅から自転車を約40分漕いで、笠松競馬場でレースを見る日々を送りました。
「当時はヘルメットを被ったまま重賞の表彰式をやっていて、安藤勝己さんがよくファンにゴーグルをプレゼントしていました。僕はもらうことができなかったけど、そのことが記憶にあって、20代前半の頃、遠征先の船橋競馬場で声をかけてくれた少年にゴーグルをプレゼントしたことがありました。6〜7年前かな、その人からTwitterで『僕も20歳になって、佐藤騎手の馬券を買えるようになりました』と連絡をいただきました」
ライデンリーダーに夢と興奮を抱いた佐藤騎手は、今は夢や希望を与える立場に変わりました。
「落ち込んで、騎手を辞めようかなと思った時に勝たせてくれたトウホクビジンもいますが、彼女は“恩人”。ヒーローとなると、何よりもこの道に導いてくれたライデンリーダーですね」
吉原寛人騎手(金沢)
深夜に興奮したドバイWC、その舞台へ導いてくれた1頭
▲今や全国区で活躍する吉原騎手にとってのヒーローとは?
昨年、サンライズノヴァ(JRA)に騎乗し、南部杯(JpnI)を制覇した吉原寛人騎手(金沢)。JRAでも2017年京阪杯をネロで制覇するなど、JRA・地方競馬の垣根を越えて活躍しています。願い続けて叶えた今の状況ですが、きっかけをくれたのは真夜中に見た競馬中継でした。
「デビューまであと数週間という時、地方競馬教養センターで夜中に起きて、ドバイワールドカップを見たんです。グリーンチャンネルが映る食堂まで行って、同期と一緒に。もちろん『ジョッキーになりたい』と思って教養センターに入ったんですけど、テレビに映るナド・アルシバ競馬場(当時はドバイWCが行われていた)のナイター競馬がすごく綺麗で、『僕もいつかこんな所で乗ることができる騎手になれるよう頑張ろう!』って改めて思ったんです。金沢デビューで、そんな夢を持つのもどうかなぁって思うんですけど、当時は『いいなぁ』って思ったんですよ」
早朝からの厩舎作業や訓練で眠たいはずが、トゥザヴィクトリーと武豊騎手の2着に興奮し、「ユタカさん、すごい!ジョッキーって、すごい!」と再認識したといいます。
先に結果を記すと、2001年3月にデビューした吉原騎手はその5年後にアグネスジェダイとドバイゴールデンシャヒーンに参戦し、「ナド・アルシバ競馬場で乗りたい」という夢を叶えました。そのきっかけをくれたトゥインチアズという馬が、吉原騎手のヒーローです。
「デビューした時から所属の松野勝己先生が新人の僕をすごく一生懸命にたくさん乗せてくださいました。その中の1頭、トゥインチアズと一緒に18歳の誕生日翌日にJRAに初遠征しました。18歳最初のレースで、まさかのJRA初騎乗初勝利のプレゼントもありました。それを見て、連絡をくださったのが森秀行調教師(JRA)でした」
1998年にシーキングザパールで日本調教馬として初めてヨーロッパのGI制覇を成し遂げた森調教師から「オーストラリアに行かないか?」と声をかけられ、冬場の金沢競馬オフシーズンに南半球に渡りました。まだJRAの若手ジョッキーでも海外武者修行をする人は少なかった時代です。
「英語がまったく分からない状態で2回乗り継ぎをしてオーストラリアに行くところからしてメンタルを鍛えられました。現地ではGIにも乗せていただいて、本当にすごい経験をさせていただいたんですが、その後に『ドバイに行くか?』という話になったんです」
そうして22歳の時、実現したアグネスジェダイとのドバイ参戦。結果は6着でしたが、「オーストラリアを経験していたぶん、ドバイはすごく楽しかったです。デビュー前に憧れた景色を、まさかデビュー間もない地方競馬の若造が見ることができるなんて。ドバイの経験が自信になって、地元のレースでも先輩たちに気持ちで負けないようになり、ペースや馬の力を読めるようになりました。チャンスをくださった森先生には本当に感謝していますし、今の自分があるのは、トゥインチアズと松野先生のおかげです」
ヒーローが与えてくれたきっかけは、ドバイだけではありませんでした。地元でリーディングを獲りたい、南関東の重賞を勝ちたい、GI/JpnIを勝ちたい――吉原騎手が実現させてきたすべての目標の始まりは、トゥインチアズでした。