先週、久しぶりにスマイルジャック(セン15歳、父タニノギムレット、美浦・小桧山悟厩舎→川崎・山崎尋美厩舎)に会ってきた。
乗馬を引退したスマイルは、今年6月5日、金曜日、日高町富浜のベーシカル・コーチング・スクールに到着。功労馬として余生を過ごすことになった。
私が訪ねたのは6月26日、金曜日。スマイルが来てから3週間が経過した日のことだった。ちょうど、コビさんこと小桧山悟調教師が、ベーシカル・コーチング・スクールに預けている管理馬をチェックするため、現地にいた。2年前、スマイルの娘たちを紹介したときにも触れたように、ここベーシカル・コーチング・スクールは、育成牧場でもあり、外厩でもあるのだ。
スマイルの馬房の前に立ったコビさんは、笑顔で私に言った。
「いやあ、島田君を驚かせるため、スマイルにソックリな馬を探し回って、ようやく見つけてきたんだよ」
コビさんとは一定の距離を保ちながら、コビさんの言う「スマイルのソックリさん」に近づいた。その馬は、私に気づくと、ほんの一瞬首を高くし、鋭くガンを飛ばしてきた。
間違いない。種牡馬時代以来の再会となる、贔屓のスマイルジャックだ。
スマイルが入っている馬房は、今年の4月までナリタタイシンが入っていた馬房の隣である。
「お前、あと倍生きないと、タイシンに追いつかないぞ」
ベーシカル・コーチング・スクール代表の高橋司代表は、そうスマイルに声をかけた。

スマイルジャックとベーシカル・コーチング・スクール代表の高橋司さん。
ここベーシカル・コーチング・スクールで余生を過ごしていたナリタタイシンは、4月13日に30歳で世を去った。スマイルは、タイシンの後を継ぎ、ここでただ1頭の功労馬として過ごすことになる。
「育成牧場では、どうしても1頭の馬がいるサイクルが短くなります。逆に、ずっといる馬がいてもいいんじゃないかと思い、開業翌年の2003年からナリタタイシンを繋養していました。主のような馬でしたね。スマイルがタイシンにつながってくれて、嬉しいです」
そう話す高橋さんによると、ここに来たばかりのころのスマイルは、お腹がすっきりして背中もパンとし、ずっと乗りつづけられていた緊張感を感じさせる姿だったという。
「到着した翌週に除鉄、つまり、蹄鉄を外しました。今もまだ釘を打った穴が残っているので、もう少し爪が伸びたら削蹄し、それから草地放牧を始めます。ファンの方々に見ていただけるようになるのは、そのあとになります」
取材した時点で「2週間後をメドに削蹄」ということだったので、来週の金曜日、7月10日ごろに削蹄し、そのあと、爪の状態を見て、放牧地に出られるようになってから見学可能になる。
なお、見学を希望する場合は、競走馬のふるさと案内所に連絡し、予約をしてから訪ねる形になる。ここでは早朝から坂路や周回コースで調教が行われているので、見学可能な時間帯は午後になると思われる。

堂々たる立ち姿。口を持つのは厩舎長の川上茂雄さん。
スマイルの馬房がある牡馬厩舎の川上茂雄厩舎長が、スマイルを外に出してくれた。
「ここに来てから体重が20キロ増えて、今は510キロあります。今、午前中はスモールパドックに出しているのですが、太りすぎないよう、ウォーキングマシンに入れることもあります」
現役時代は担当者にガブリと食いつく肉食系だったことを伝えると、川上さんは「わかります」と笑顔を見せた。

スマイルと川上さん。特に担当を固定せず、みなで世話をする形にしているという。
私がスマイルに会ったのは、種牡馬となって2シーズン目の2016年以来だから4年ぶりということになる。
顔も馬体も、ほとんど馬齢を重ねた感じがしない。リラックスできる環境だからか、いくらか目が優しくなったような気がする。
削蹄をしてから放牧に出される放牧地は、ナリタタイシンが使っていたのと同じところだ。1頭には十分以上の広さなのだが、高橋さんによると、種牡馬を経験した馬は気性が違うので、他馬と一緒の放牧地には出せないという。
「我々の目も行き届きますし、見学者の方々にとっても見やすい場所です」
スマイルジャックの、競走馬、種牡馬、乗馬につづく、功労馬としての「第4の馬生」が、まもなく、本格的に始まろうとしている。