「にんじんかリンゴ来ないかなぁ」(撮影:佐々木祥恵)
海外では「日本は種牡馬の墓場」と言われていると…
認定NPO法人引退馬協会の所有馬となったことで、プリサイスエンドは種牡馬引退後の第三の馬生を保証されたことになる。だが種牡馬登録を抹消されて用途変更となり、行方がわからなくなる馬は毎年必ずいる。中でもショックだったのは1978年の有馬記念に優勝したカネミノブと、最近では2008年の毎日王冠含む重賞4勝のスーパーホーネットが行方知れずとなったことだ。スーパーホーネットに関しては、ある方からの問い合わせを受け、馬関係の知人に協力を仰ぐなど少しだけ行方探しに関わったが、結局発見には至らなかったと伝え聞いた。種牡馬になるほどの馬でさえ、人知れず姿を消し、生死不明となってしまう。ましてや日本で走っていない輸入種牡馬は、日本の競馬ファンにとっては決して愛着のある存在ではない。それだけにその馬が種牡馬としての役目を終えた後については、厳しい現実が待っているといって良いだろう。
その顕著な例として挙げられるのが、1986年のケンタッキーダービーや1987年のBCクラシックを制したファーディナンドだ。アメリカでの種牡馬生活を経て1994年秋に来日して1995年からアロースタッドで供用されている。だが目立った産駒を輩出できないまま、アロースタッドから移動。その後も種牡馬生活を続けていたが、2003年以降、行方がわからなくなった。ファーディナンドの生産者兼オーナーだった人物の家族がこの馬の行方を探しており、日本で活動していたアメリカ人の女性記者が調査を開始。最終的に処分の道を辿ったであろうことがわかった。この事実はアメリカの競馬雑誌でも記事になり、米国内で大きな問題となったようだ。
私が競馬を見始めた頃だっただろうか。海外では「日本は種牡馬の墓場」と言われていると、耳にしたことがある。当時中学生だったので、その言葉の意味について深くは考えていなかったのだが、ファーディナンドの一件を知った時に、その言葉が再度甦ってきて、当時の競馬四季報に出ていた輸入種牡馬の広告の馬たちの末路はどうだったのだろう、多くは処分されたのではなかろうかと暗い気持ちになったのを覚えている。
プリサイスエンドも日本では走っていない輸入種牡馬(撮影:佐々木祥恵)
引退馬協会は今年、いつになく多くの馬を協会所有馬として受け入れていた。しかも新型コロナウイルスにより、社会情勢が今後どうなるのか先行きが見えない中で、プリサイスエンドの受け入れは正直不安があった。だが23歳と高齢のプリサイスエンドを乗用馬として転用するわけにもいかない。さらにはジャパン・スタッド・ブックインターナショナルの引退名馬繋養展示事業の助成金(JRA重賞及び地方競馬で実施されたダートグレード競走勝ち馬に支給)も外国産種牡馬は対象外のため、このままいくと行き先が見つかる可能性はかなり低く、処分されても不思議ではない危機的状況だった。初回にも書いたが、日高スタリオンステーション時代からプリサイスエンドをずっと見守り続けていたY.Hさん夫妻が引退馬協会に相談して、協会側が引き受けなければ命は繋がらないと判断して、受け入れを決断したのだった。
現状の競馬のシステムの中で、生産牧場、育成牧場、競馬場の厩舎関係者、種馬場、さらには行き場のなくなった馬たちが送り込まれる畜産業者、屠畜場など、それぞれが自らの職務を責任を持って全うしている。だから誰が悪いというつもりは毛頭ない。だが海外からはるばる日本へとやって来た種牡馬たちに、せめてのんびりと過ごす余生があっても良いのではないかと、行方知れずになっていった馬たちについて見聞きするたびに思う。
では他の馬たちは助からなくても良いのか。その馬だけが特別なのか。必ずそういう意見が出てくるのだが、すべての馬の命を今すぐに繋いでいくというのは、毎年の生産頭数を考えただけでも現実的には不可能だ。だからまずはできることから一歩一歩、進めていく。それしかないのではなかろうか。引退馬協会も、正に一歩一歩、目の前にある命を繋いでいく活動をこれまで行ってきた。プリサイスエンドもまた目の前に現れた命であり、引退馬協会は手を差し延べたのであった。
猫と一緒に…。(撮影:佐々木祥恵)
今、ノーザンレイクには4頭の馬がいる、毎朝厩舎の扉をあけるとキリシマノホシがブフフフと鳴き、タッチノネガイと芦毛(事情があって馬名は出せない)の2頭の牝馬が顔を向ける。そして1番奥にいるプリサイスエンドが、若干かすれた声でいななく。今日もまた皆無事に朝を迎えてくれた。ホッとする瞬間だ。
プリサイスには、左後ろ脚に持病のフレグモーネがある。傷口から細菌が入ったのが恐らく最初の原因だったはずだが、どこかでその細菌を殺し切れずに慢性化してしまったものと思われる。慢性化してしまうと、腫れて熱を出して治療して収まってを繰り返すことが多いそうだ。普段は球節部分の腫れやむくみが残ったままなのだが、再発して悪化すると腫れは上の方まで広がる。ノーザンレイクに来てからも、朝検温したら熱が高く、腫れも出てきたのですぐに獣医を呼んだ。抗生剤の注射、及び採血をして炎症の度合いも調べてもらった。
脚のケア中。左後ろの球節が大きくなっているのがわかる(撮影:佐々木祥恵)
日々、ケアも欠かせない。パドック放牧の合間に、20分〜30分の引き運動をする。運動の後は血の巡りが良くなり、代謝がアップするのか、球節周りのむくみがだいぶ取れる。その後に熱感のある場所を水で冷やす。馬房に戻す前には、きれいに脚を洗って、水分をふき取り、気になる箇所に軟膏を塗ってバンテージを巻く。細心の注意を払っていても、くすぶっている細菌がまた炎症を引き起こす可能性があるのだから、なるべくそうならないよう毎日神経を遣ってケアを続けていく。それだけだ。
種牡馬導入時の担当者は「(気性は)かなりキツい部分がありましたけど、頭が良い馬という印象があります」と、日高スタリオンステーション時代のプリサイスの性格を教えてくれた。今はすっかりキツい部分は消え去り、パドックに入ると後をついて回り、こちらの姿を見るといななく。獣医の診察も、日々のケアにも従順で、確かにこちらの意図を理解しているような賢さも感じる。人参とりんごが大好きで、私の手を涎だらけにしながら嬉しそうに食べている姿は、可愛いおじいちゃんという雰囲気で、ノーザンレイクにもすっかり馴染んでくれた。来た当初は去勢の影響で腰骨がとがってあばら骨が浮き出た痛々しい姿だったが、最近は腹回りに肉がついてきて、少しずつ体も回復している。来年には24歳になるプリサイスエンド。アメリカでの重賞勝利はGIII止まりだったが、日本では主にダート短距離路線でコンスタントに活躍馬を出した名種牡馬だったのではないだろうか。
来年春には鹿児島のホーストラストに移動予定。それまで馬体の回復に努めている(撮影:佐々木祥恵)
ノーザンレイクでは彼に敬意を表して、時折こう呼んでいる。「アメリカンヒーロー」。せっかく余生が過ごせるのだから、どうか穏やかに長く生きしてほしい。そう願いながら、日々ヒーローの世話をさせてもらっている。
(了)
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