▲松永幹夫調教師、現在と32年前の騎手姿 (C)netkeiba.com、PRC
今は調教師として活躍される元騎手のみなさんは若かりしジョッキー時代、どんなことを考えて日々を過ごしていたのでしょうか。1/11の成人の日に合わせて、3日連続でお送りする特別企画。初回は松永幹夫調教師の登場です。
競馬学校2期生としてデビューし、早くから活躍した松永師。20歳の頃にはのちに「白い稲妻」と呼ばれGIを3勝したタマモクロスにも騎乗し、その独特の乗り味を感じたそうです。さらに、デビューから引退まで所属し続けた師匠・山本正司元調教師との話にも及びます。
(取材・構成=大恵陽子)
「タマモクロスは強くて面白い馬でした」
――松永師が20歳の頃はデビュー2年目の1987年春から翌年にかけて。のちに天皇賞春秋制覇を果たすタマモクロスに87年秋、藤森特別で一度騎乗されたんですね。
松永幹夫調教師(以下、松永師) めちゃくちゃ強かったです。未勝利戦をダートで勝った後はずっと勝てなかったのが、僕が乗る前走で芝を使ってすごく強くて、「早く芝に行けばよかったのに」と言われるくらい注目されていたんですよ。調教でも「これは走るな」と思いました。
――単勝は1.7倍。4コーナーではすでに先頭で、後ろを振り返りながら8馬身差で圧勝でした。
松永師 当時はたしか400万下クラスを2回走ることができて、前走でそのクラスを勝ってもう一度って時だったから、なおさら強かったんだよね。「すごい走る馬だなぁ、次も乗りたいな〜」ってあの時は思っていました。その後、乗せてもらえなかったですけど(笑)。
――前走まで乗っていた南井克己騎手(現調教師)に手綱が戻りましたが、デビュー2年目にしてのちのGI馬の背中を味わえたんですね。
松永師 いい経験になりました。変わった走りをする馬でね。馬って、脚をたたんだ時にきゅっと縮まって、脚を伸ばすと首も一緒に前に出ると思うんですけど、タマモクロスは首を伸ばしっぱなしで頭を上下に振って走っていました。変わった走りだなーって思うけど、すごく強くて面白い馬でした。