
▲石橋守調教師が、若手の頃を振り返る (C)PRC、netkeiba.com
今は調教師として活躍される元騎手のみなさんは若かりしジョッキー時代、どんなことを考えて日々を過ごしていたのでしょうか。1/11の成人の日に合わせて、3日連続でお送りする特別企画。2回目はダービージョッキー・石橋守調教師です。
競馬学校1期生としてデビューし、20代最後の年にはライブリマウントとともに第1回ドバイワールドカップに遠征した若かりし頃を振り返ります。
(取材・構成=大恵陽子)
お酒解禁で厩務員さんとの関係がより深まり…
――20歳の頃を思い出してみて、どんな青春時代を過ごしていましたか?
石橋守調教師(以下、石橋師) 20歳の頃はやっぱり仕事をしていた記憶しかないかな。休みの日も厩務員さんと一緒に寝藁を上げたりね。20歳になって、小倉で2カ月滞在とか出張に行ったらお酒も覚えましたよ。
――言葉はちょっと古いですけど、成人すると「飲みニケーション」でさらに仲を深められそうですね。
石橋師 昔は厩務員さんの接待もあったなぁ。丁稚奉公みたいな感じで厩舎に入って、厩務員さんに可愛がってもらって一緒に仕事して、みたいな。
昔は馬房に敷いているのもチップじゃなくて寝藁やったから、朝にそれを干して、厩務員さんは1回帰るんやけど、「合間に寝藁を返しておけ」って言われて、上が乾いたら裏返していました。
――遊びは?
石橋師 何して遊んだやろうな? 車の免許は同期より遅くに取ったはずです。あんまり興味がなかったし、師匠からも、取れとも取るなとも言われなかったですね。買い物は自転車で行ける範囲にあったし、ジョッキーになってからは厩務員さんの家に呼ばれたりしていました。
僕が逆らったりして厩務員さんとよくケンカもしました(苦笑)。それでも一瞬的なことで、可愛がってもらいました。境直行厩舎はスタッフも良かったし、先生も口数の少ない人やったけどたくさん馬も乗せてもらったし、先生の奥さんにも可愛がってもらいました。