1999年の安田記念を制したエアジハード(提供:竹内里紗さん)
グラスワンダーを破った安田記念
1999年の安田記念を制したエアジハード。GI優勝を飾った栄光の日から22年の月日が流れ、26歳になった彼は、北海道新ひだか町にある育成牧場の小国スティーブルで余生を過ごしている。現在のオーナーは小国スティーブルに勤務する竹内里紗さん。竹内さんは牧場の事務仕事の傍ら、エアジハードの世話をすべてこなしている。牧場での呼称は「エアジ」。インスタグラムでも、竹内さんが撮影したエアジの可愛い様子を目にすることができる。
エアジハードは、1995年4月9日に北海道千歳市の社台ファームで生まれた。父はサクラユタカオー、母はアイシーゴーグル、その父ロイヤルスキーという血統だ。ちなみにエアジハードの祖母は、1982年のオークス馬シャダイアイバーだ。
美浦の伊藤正徳厩舎の管理馬となり、1997年12月の新馬戦でデビュー。見事勝利すると、年明けのカトレア賞で連勝を飾った。だが皐月賞トライアルのスプリングSで4着に敗れ、皐月賞出走権を逃す。その後、NHKマイルCでGIに初めて挑んだが8着と敗退し、春シーズンを終えた。秋初戦の4歳以上900万下で3勝目を挙げると、続く奥多摩S(1600万下)にも優勝。勢いに乗って富士S(GIII)にも勝利し、重賞を初めて制した。
明け5歳(馬齢旧表記)になったエアジハードは、谷川岳S、京王杯スプリングCと連続して2着に甘んじていたが、安田記念では圧倒的な1番人気のグラスワンダーをハナ差退け、見事GI初制覇を成し遂げた。その年の10月には天皇賞・秋でスペシャルウィークの3着と好走すると、適距離のマイルCSでは1番人気に推され、キングヘイロー以下を下して、春秋マイルGI連覇を果たした。その後は香港カップの出走を目指して香港に遠征したものの、屈腱炎を発症してレースを回避。現役引退が決まった。
安田記念は4番人気、鞍上は蛯名正義元騎手※現調教師(撮影:下野雄規)
竹内さんとエアジの出会い
競走馬登録を抹消されたエアジハードは、2000年から社台スタリオンステーションで種牡馬となったが、2003年にブリーダーズスタリオンステーションで繋養され、2005年にはレックススタッドに移動している。2007年にアグネスラズベリが函館スプリントS(GIII)に優勝すると、その年の秋にはブリーダーズスタリオンステーションに再び移動。2010年にはショウワモダンが安田記念に勝利し、父子で同じレースを制覇となった。2012年には十勝の中川郁夫牧場に移り、2013年から十勝軽種馬農業協同組合種馬場で繋養されることになった。竹内さんがエアジハードと初めて会ったのも、この十勝の種馬場に見学に訪れた時だった。
「競走馬のふるさと案内所のコラムに十勝にいるエアジハードが紹介されていたのですけど、そこに掲載されていた真っ白な雪景色に栗毛のエアジハードの写真がとても素敵だったんです」
雪景色に映える綺麗な栗毛(提供:竹内里紗さん)
竹内さんは生まれ育った神奈川県を離れ、現在は新ひだか町で暮らしているが、その時はまだ北海道に移住前。写真の中のエアジハードに惹かれた竹内さんは、北海道旅行をした際に十勝種馬場に立ち寄った。当時はエアジハードの他に、リンドシェーバー(2016年10月14日、28歳で没)、ダイナマイトダディ(2020年6月22日、32歳で没)、フサイチソニック(同場で繋養中)の4頭が繋養されていた。
竹内さんが競馬を観始めたのは小学校高学年だった2000年頃、競馬好きだった父親の影響だった。
「ちょうど古馬になったテイエムオペラオーが走っていたのですが、エアジハードは馬名は知っていましたけど、(リアルタイムでは)見ていないんです」
競馬にすっかり夢中になった竹内さんは、自然とジョッキーや厩務員に憧れ、競馬学校を受験したり、高校時代には乗馬クラブに通ったりもしていた。だがその夢は残念ながら叶わず、保育士の道に進んだ。しかし競馬熱は冷めやらず、前述した通りエアジハードのいる十勝種馬場に足を運ぶなど、牧場見学を楽しみに過ごしていた。そんな竹内さんに転機が訪れた。
「三石のレディースツアー(三石軽種馬生産振興会青年部主催)に参加した時に、とねっこを見せてもらうなど生産牧場の方とお話する機会がありました。その時に生産牧場の仕事にも興味を持ち、北海道に移住することを決めました」
育成牧場の小国スティーブル(提供:竹内里紗さん)
竹内さんの父親も驚きながらも娘が馬に携わる仕事をすることを喜び、「好きなことをしておいで」と背中を押してくれたという。こうして竹内さんは、馬産地・日高に移住してきた。今から8年前のことだ。家族経営の生産牧場で1年勤めたのち、現在の職場である育成牧場の小国スティーブルに就職した。休みのたびに牧場見学をし、エアジハードのいる十勝にも月2回の割合で通った。日高のようにサラブレッドが多くいるわけではないが、十勝ののどかで広大な大地を訪れ、種馬所でエアジハードや他の馬たちと接するひとときが、竹内さんの癒しにもなっていた。こうして十勝通いが続いたある日、種馬場で馬を管理しているNさんからエアジハードを引き取ってくれないかという相談を持ち掛けられた。
「Nさんの年齢を考えると、エアジハードを最後までみるのは難しいかもしれないということで、私に話をされたようです。以前から馬の余生をみることや引退馬支援に興味を持っていていつかは引退馬に携わりたいと思っていましたが、育成牧場の一従業員ですし、それはまだ難しいかなとも思いました」
経済面もさることながら、1つの命に責任を持つのは簡単なことではない。竹内さんは思案したが、思い切って自らが勤める小国スティーブルの社長に相談してみた。すると社長は快くエアジハードの受け入れを了承してくれたのだった。だが小国スティーブルは育成牧場ということもあり、エアジハードを放せる放牧地がなかった。正式に移動が決まって小国スティーブルにやって来るまで2週間しかなかったため、急ピッチで作業は進められた。
「杭打ちから始めて牧柵を回して、功労馬1頭が暮らせるくらいの放牧地を作って環境を整え、2019年の7月にエアジを迎え入れました」
(明日の後編につづく)
▽ エアジハードのインスタグラム
https://instagram.com/airjihad