2年ぶりにダービーを現地で取材した翌日、札幌の生家に来た。
羽田から新千歳までの飛行機で、私の左にひとつの空席を挟んで、メガネをかけた20代前半とおぼしき若者が座っていた。機内サービスが始まると、若者はスープを、私はサッポロ珈琲館のコーヒーを頼んだ。少し経つと彼は「すいません」と客室乗務員を呼んだ。その顔を見て驚いた。鼻血を出して、白い不織布のマスクを真っ赤に染めているのだ。
「ティッシュありますか」と言った彼に、「今はおしぼりしかありませんので、これを」と客室乗務員はペーパーのおしぼりを渡した。彼はおしぼりをちぎって鼻に入れたが、湿っていると吸い込みが悪くまた血が出てくるし、慌ててスープに手をぶつけてこぼすし、と大変そうだった。私は、未使用のポケットティッシュを開けて、ちょっとだけ出して差し出した。ペコリと頭を下げて、彼はそれを抜いて鼻の穴に入れたが、足りないようなので、もう2枚渡した。ようやく落ち着きかけたころ、客室乗務員がボックスティッシュを持ってきて、解決した。
客室乗務員は、彼と私に、おしぼりとアルコール除菌シートをくれた。鼻血を止めるために濃厚接触に近くなったところを見ていたからだろう。
「大丈夫?」と私が訊くと、彼は「はい、大丈夫です」と頷いた。新しいマスクをしていたので見た目にはわからなかったが、声からして、鼻の穴にティッシュを詰めたままだ。それじゃあスープの味もわからないだろうし、こぼして少なくなったから、客室乗務員に新しいのを持ってくるよう言ってやろうかと思ったが、そこまでのお節介は不要だろうと、やめておいた。
着陸してシートベルト着用ランプが消えて立ち上がったとき、鼻血を出した彼が「さっきはありがとうございました」と声をかけてきた。「もう血は止まった?」と私が言うと、彼は「はい。ティッシュがどこにあるのかわからなくて」と自分のリュックを少し開けて微笑んだ。
「鼻のなかを切っちゃったのかね」「いえ、そうじゃないと思います。ときどき……」「ああ、何回もあるんだ」「はい」
おじさんも顔を洗いながら水で鼻をかんでよく鼻血を出すんだよとか、君は学生と社会人のどっちなんだとか、今回は帰省なのかとか、話したいこともあったのだが、あまり話をしないほうがいいご時世だし、数日前に首を痛めて顔を左に向けるのがつらかったこともあり、そのまま飛行機を降りた。
ふと思ったのだが、鼻血を出した彼と、ダービーでエフフォーリアに騎乗した横山武史騎手は同世代である。そう考えると、大本命に騎乗し、掛かることを恐れずゲートから果敢に出してポジションを取りに行き、ガチッと抑えて動かずに脚を溜め、直線でロスなくスパートさせた武史騎手はすごい。鼻血ブーの彼だって、スーパー大学生か、一流企業のスーパーエリートなのかもしれないが、ともかく、武史騎手の騎乗はあっぱれだった。
ゲートから出して行ったのは、包まれるのを避けるためだろう。何もできずに終わった、というレースにしないために、彼は積極的に前に行った。そうした「見ている人間に意図が伝わる騎乗」を意識しているのか訊いたときは、意識していないと答えていたが、今回も、しっかり意図は伝わってきた。
ゴールしたときはどっちが勝ったかわからなかっただろうが、帰りに聞かされたのか、検量室前に戻ってきた彼は、「2」と表示された2着馬の枠場(脱鞍所)にエフフォーリアを入れた。
検量室で、父の横山典弘騎手が、武豊騎手と並んで顔を洗い、「やっぱり厳しいな」と武騎手に話しかけていた。もちろん自分のことではなく、息子がハナ差の2着に惜敗したことについてである。武騎手は顔を拭きながら苦笑し、頷いていた。
その後、レースリプレイを見つめる武史騎手の肩に、典弘騎手が手を置いて、ともに画面を見上げていた。
同じデビュー5年目の1990年、典弘騎手は1番人気のメジロライアンに騎乗し、2着に惜敗した。勝利騎手を讃える「ナカノコール」を、どんな思いで聞いたのだろう。
あの敗戦があったから、今の「騎手・横山典弘」があることは間違いない。
シャフリヤールで勝った福永祐一騎手は、ここ4年で3度ダービーを制すという離れ業をやってのけた。
ワグネリアンでダービー初制覇果たした2018年、共同会見で、彼の鬢に白いものを見つけた。1996年のデビューが鮮烈だっただけに、私のなかで福永騎手は「スーパールーキー」としてのイメージが強かったので、あらためて時の流れを感じさせられた。
何かに打ち込み、時が経てば、人は変わる。その変化が成長であれば、前にできなかったことができるようになったり、遠く感じていたものに手が届くようになったりする。
横山武史騎手にとって、今年のダービーは、そうした変化と成長の、ひとつの起点となるだろう。
「将来トップになる若武者」
シャフリヤールを管理する藤原英昭調教師は、武史騎手をそう表現した。
その「将来」は、そう遠くないはずだ。