さらなる国際化を見据えた革新的な取り組み
11月19日、大井競馬の最終レースで、従来とは逆の左回りのレースが初めて行われた。JRA東京競馬場では1980年代まで、現在とは逆の右回りでもレースが行われていたが、日本の競馬場で左右両方の周回で競馬が行われるのはそれ以来となる。
大井競馬場の外回りコースは1周1600m。左回りのゴールは、従来の右回りの残り200mの地点に設置された。ただ左回りのゴール板は、調教用の内コースの内ラチに設置されている。これは200mのハロン棒と重なっていることもあるだろうし、通常の右回りコースでゴールを誤認する可能性を避けることもあると思われる。そのため従来の200mのハロン棒の表記は『2/G』となった。
実施された左回りのレースは1650m。スタート地点は、左回りのゴールの50m手前で、通常の右回りコースではゴールまで150mの地点にあたる。1コーナー(従来の4コーナー)を回るところで行き場をなくして大きく位置取りを下げる馬がいたが、まずは無事に行われた。従来のゴール板がある残り200mのあたりからは人気2頭の追い比べとなり、クビ差で制したバーブルの鞍上・御神本訓史騎手は、これが地方競馬通算2500勝のメモリアルともなった。
左回り1650m戦のゴール。ゴール板は調教コースの向こうにある
ご存知のとおり、南関東では4場で連携して開催が行われており、大井以外の3場、浦和・船橋・川崎はすべて左回り。大井競馬場に所属している馬で、仮に左回りが得意な馬がいたとしても、活躍の場はいくらでもある。その状況で、なぜ大井競馬場で左回りをやる必要があったのか。それはさらなる国際化を見据えてとのことのようだ。
大井競馬では、かなり早くから国際交流を進めてきた経緯がある。1978年には、日本の競馬では初となる外国人女性のメアリー・ベーコン騎手をアメリカから招待してレースを企画。1979年には、その前年にアファームドで北米三冠を制したスティーヴ・コーゼン騎手を招待してのレースが行われた。その年の青雲賞(現・ハイセイコー記念)の勝利騎手の欄にはスティーヴ・コーゼン(当時の表記はスチーブ・コーゼン)の名がある(勝ち馬はタガワテツオー)。
1995年にはアメリカ・カリフォルニア州のサンタアニタ競馬場と友好交流提携を締結。それまで関東盃という名称で行われていた重賞がサンタアニタトロフィーとなり、一方のサンタアニタ競馬場では、G3の東京シティカップが行われている。この頃、アメリカ西海岸からトップジョッキーを招待しての騎手交流レースも行われた。
さらに2011年には東京大賞典が地方競馬では初の国際GI格付けとなった。それを記念し、この年はサンタアニタトロフィーを『サンタアニタパーク友好交流記念』として国際交流競走として実施。サンタアニタトロフィーは通常内回り1600mで行われているが、大井の内回りコースは4コーナーのカーブがきつくトリッキーなコースであることから、この年に限って外回り1800mに変更。アメリカからの招待馬1頭が参戦したが、残念ながら最下位でのゴールだった。
国際GIの格付けを得た東京大賞典だが、これまで外国馬が出走したのはわずか1頭。2014年にアメリカからG1・3着の実績があったソイフェットが参戦したが、これも残念ながら15着馬から10馬身も離されての最下位16着での入線だった。JRAのジャパンCダート(現・チャンピオンズC)が招待レースだった頃は、ジャパンCダートの選出馬となった外国馬は自動的に東京大賞典の選出馬にもなっていたのだが、そもそもジャパンCダートに遠征してくる外国馬自体が少なかったので、東京大賞典に出走する外国馬がほとんどいなかったのも仕方ない。
最大の問題と考えているのは、ダートの本場アメリカの競馬場はすべて左回りなのに対し、大井競馬場は右回りであること。また現在、世界的な高額賞金のダートレースとして知られるドバイワールドCやサウジCも、アメリカに倣って左回りのコースで行われている。左回りの実施は、そうした世界のダート競馬の潮流に合わせようとしたもの。
当面、左回りは1開催で1レース、1650mで、その日の最終レースで実施される。いずれは1日1レースの実施が検討されており、1000mや2000mの距離も可能だという。大井競馬開催執務委員長で特別区競馬組合副管理者・斉藤弘氏の話として「東京大賞典など国際レースについても左回りでの実施が将来的に可能ではないかと考えています」とのこと。
これまでもさまざまに新たなことを取り入れてきた大井競馬が、さらなる国際化も含めてどのように変わっていくのか楽しみだ。