東京駅から乗り込んだ東北新幹線の車中でこの稿を書いている。今夜は新白河駅近くのホテルに泊まり、明朝、ノーザンファーム天栄で取材をする。
さて、10年以上前のことになるが、私を夕食で接待しようとした編集者が、かねてより私をよく知る彼の同僚に、「島田さんって何が好きなの」と聞いた。同僚は「駅弁」と即答したという。それを知った私は、「どうして和牛ステーキやフカヒレの姿煮って言わなかったんだよ」と思ったが、その同僚の答えも正解なのだから仕方がない。
そう、私は駅弁が大好きなのである。
車窓を流れる景色を横目に、ご飯とおかずからフィルムをそっと剥がし、ベタつく面を下にして蓋に置く。揚げ物に醤油をかけ、割り箸を持ったまま「いただきます」と手を合わせる――という至高のひとときを過ごすため、私の脇には、東京駅で仕入れた「東北福興(ふっこう)弁当」が控えている。
ところで、弁当に添えられる漬け物や佃煮などの入った、円形で、周りを蛇腹状に折ってある直径3センチほどのフィルムを何と呼ぶのか、ご存知の方はいるだろうか。調べたところ、「フードケース」とか「フィルムケース」と呼ばれているようだ。しかし、前者だとプラスチックの箱型のケースを、後者だとカメラのフィルムを入れる円筒形のケースを思い浮かべてしまう。合わせ技で「フィルムのフードケース」と呼ぶといいのかもしれないが、それでも、すぐにあれだとわかる人は少ないだろう。
なぜそんなことを言い出したかというと、私の好きな、蒲田鳥久(とりきゅう)の「きじ焼弁当」を思い出したからだ。午前10時に売り出し、11時ごろには売れ切れてしまうことの多い人気商品である。きじ焼弁当を食べるとき、私はまず、漬け物や生姜などの入ったフィルムのフードケースを、裏返した蓋の上に移動する。それから鳥肉にからしをつけて刻み海苔をふりかけ、タレの4分の1ほどを天ぷらに、残りを、なるべく肉にかからないようご飯にかける。そうしたほうが肉の香ばしさが引き立つのだ。
この一連の儀式もまた楽しい。そう、私は駅弁だけでなく、弁当全般が好きなのである。
それはいいとして、今、非常につらい。この稿を書き終えてから駅弁を食おうと思っていたのだが、もう宇都宮だ。あと30分もしないうちに新白河についてしまう。腹が減った。車中で揺られながら食べてこそ駅弁ではないか。新白河で食べるのなら、その土地のものにすべきだ。
実は、「腹が減った」と記してすぐ車中で食べてしまい、今、新白河のホテルでつづきを書いている。着いてから、「白河ラーメン」というご当地ラーメンがあることを知り、失敗した、と思った。こんなことなら駅弁と白河ラーメンの両方を味わえるよう、もっと早く出てくるべきだった。
東京から新白河まで新幹線だと1時間半もかからない。それでも、ここは、風の冷たさも、山の姿も、人々の言葉も、まごうことなき東北である。ノーザンファーム天栄までは、ここから車で20分ほど。関東からの時間距離は近い。アクセスがいいのに環境はまるで異なるところも、ノーザンファーム天栄の強みのひとつなのだろう。
これから、ホテルのロビーで編集者と明日の取材のための打ち合わせをする。部屋に戻ったら、九條今日子さんの『回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで』を読もうと思う。伊集院静さんの『ミチクサ先生』を読んでから、猛烈に寺山に関するものが読みたくなった。昨秋上梓された『ミチクサ先生』は、夏目漱石を主役とし、漱石の視点から正岡子規との友情も描いた上下巻の大作である。
伊集院さんは、それに先立ち、2013年の秋に『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』という、正岡子規を主人公とし、子規から見た漱石との関係についても描いた作品を出している。漱石と子規という巨人を、双方の視点から極上のエンターテインメントとして書き上げた伊集院さんの仕事は、現代文学のひとつの到達点を示したと言える。
それに刺激され、私も、職業として文章を書きはじめたころ大きな影響を与えられた寺山修司について「書き切った」と言えるものを世に問いたい、と、前にも増して強く思うようになった。
これまで私は寺山作品というと競馬エッセイばかり読んでいたのだが、劇作家としての代表作『戯曲 毛皮のマリー 血は立ったまま眠っている』を読んでみたら、面白くてびっくりした。「ドリフの大爆笑」のコントに通じる設定もあり、観客の笑い声まで聞こえてくるかのようだった。また、所収されているいくつもの戯曲に競馬に関するセリフやシーンが出てきて、それだけでも嬉しくなる。
来年、2023年が、寺山の没後40年の節目となる。
よし、来年の目標が決まった。今年の目標より先に、来年の目標が定まるとは自分でも思っていなかったが、ともかく、「小説・寺山修司」の実現に向けて頑張りたい。