▲スタッドインするコントレイル、競走馬の輸送に新たな道はひらけるか (撮影:山中博喜)
昨年の中央競馬では、24の平地GIを美浦、栗東勢が12勝ずつ分け合った。1998年以来、23年ぶりの美浦勢の勝ち越しはならなかったが、重賞でも前年から15伸ばして56勝(栗東84勝)と健闘した。とは言え、年間勝利数では栗東勢が前年から25伸ばして2030勝(美浦1435勝、1着同着9)と東西格差は相変わらずだ。今回は、格差解消策としての競走馬の国内空輸にスポットを当て、九州大大学院でこのテーマを研究してきた清田俊秀氏にお話を伺った。
終戦直後の1949年、欧州ではすでに空輸が始まっていた
野元 ここから徐々に空輸の話に入っていきたいのですが、かつて海外で色々と活動されていた中で、馬の空輸に関しても、実際にご覧になったことがあると思いますが、ご存じの範囲でお話し下さい。よく言われるのが、エイダン・オブライエン厩舎(アイルランド)ですね。
清田 はい。
野元 それこそ専用機で例えばフランスに、凱旋門賞が代表的ですが、当日輸送で遠征していく。そういうことは少しずつ日本のファンにも知られて来ていると思うのですが、実際にどのようにやっているのか、ご存じの範囲内で一言触れていただけたらと思います。
清田 今、野元さんが、エイダン・オブライエン厩舎が専用機で輸送していることについて触れられましたが、実際にそんなに知られていますかね…。エイダン・オブライエンの話をする際の1つのヒントとして、この資料があるんです。(ヴィンセント・オブライエンの白黒写真)アイルランドのシャノン空港からイギリス北西部のエイントリー競馬場への輸送で、輸送距離で言ったら、美浦トレセンから函館競馬場ぐらいになります。時代は1949年で、昭和で言えば…
野元 24年。
清田 終戦の4年後です。
野元 日本はまだ国営競馬ですね。
清田 はい。ヴィンセント・オブライエンは昭和24年から空輸を始めていた。下の写真は、搭載前の曳き運動をやっているところです。
野元 はい。
清田 ヴィンセント・オブライエンは、和暦で言えば大正生まれの方です。そこで、日本で同じ世代にどんな方がいたかというと。2月に(70歳定年で)引退される高橋祥泰先生。あの高橋祥泰先生のお父さん、高橋英夫調教師が、ヴィンセント調教師より2歳年下なんです。
野元 ほぼ同世代。
清田 そういう話をすると、時代感覚がわかると思うんですけど。高橋祥泰先生のお父さんは騎手から調教師になられ、二代目の調教師の先生が今年引退される。このように日本の競馬史とともに歩んでこられたご一家です。
高橋英夫先生はもともと中山競馬倶楽部の時代に入られて、それから日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会と、日本競馬の変遷の歴史を生きて来られた方で、そういう方の時代に、欧州では空輸と共に競馬産業が発展していった。そして、空輸という手法は…。こちらは血のつながりはないですが、ヴィンセント・オブライエンから今のエイダン・オブライエンへと続いている現実があります。
野元 はい。
清田 ですから、欧州には歴史的に競走馬の空輸の下地があると思います。片や高橋祥泰先生のお父さんの時代はといえば、戦前、例えば中山競馬場から府中競馬場まで四谷見附付近で水飲み休憩を入れながら約8時間かけて、また中山競馬場から横浜(根岸)競馬場へは、品川駅付近で水飲み休憩を入れて約10時間かけて歩いて引っ張って行くひき馬輸送でした。
戦後になっても、中山競馬場の最寄り駅である下総中山駅から貨車輸送で函館や札幌競馬場まで4日から7日かけて輸送していたそうです。貨車輸送は昭和30年後半まで続き、現地で馬を受け渡すのを“駅取り”と呼んでいたようです。
野元 20年以上前に直接、古手の厩務員の方から話を伺ったことがあって。かつては東京競馬場の近くに下河原線(旧国鉄)というのがあって、私も府中に住んでいて存在は知っていましたが、この路線に東京競馬場前という駅があり、そこまで人が引っ張って行って、そこから貨車に積んで輸送したと。
清田 そうです。個人的に、馬匹輸送の歴史の違いって非常に面白いというか、世界の競馬の歴史の違いを感じる話と思って紹介させて頂きました。
日本の空輸の変遷
野元 最近のことになりますが、具体的に空輸で色々なところに出ていく厩舎なり、オペレーションしている人々は、具体的にどの程度の規模の…例えば飛行機の機体の大きさであったり、何頭積んで人が何人がつくとか、その辺の具体的なところをご説明いただけたらと思うのですが。
清田 また歴史の話からで恐縮ですが、日本で空輸による最初の海外遠征馬はハクチカラで、1958年でした。当時はまだ馬を貨物機で運ぶという概念がなかった時代のようで、定員50席位の旅客機の座席を取って馬のスペースを作ったそうです。その後、10年位経ってからシンボリ(牧場)さんとかが積極的に海外遠征へ行くようになって日本では、やっと貨物機による輸送と言えるようになりました。
野元 はい。
清田 オペレーションの話ですが、空輸による馬匹輸送では、厩舎関係以外のオペレーションとして、貨物機を運航するキャリア、搭載貨物を集約するフォワーダー、更にフォワーダーと連携して馬匹輸送商社もあり、検疫、関税業務等を行います。
また、馬の積込施設の設置から積込などを行う回漕業者と呼ばれるものがあり、そして空港のグランドハンドリング、それに陸上輸送のための馬運車会社が一体となってオペレーションを行います。例えば、1頭だけの馬の海外遠征でもこれだけの組織や人が動いています。
野元 そうですか。
清田 私が初めてJRA所属馬で海外に遠征したのが05年のアメリカンオークスです。使用した貨物用機材はボーイング747でエンジンが4発ある、いわゆるジャンボジェット機です。最大積載量が100トン位。ただ、馬用のコンテナは通常のコンテナよりも大きくて、この機種でも20個位しか搭載出来ません。従って、1個のコンテナに2頭積んでも40頭しか運べません。
この機材は二階建てデッキで、二階に貨物会社の社員や私たちのような馬の輸送管理者のために、4〜6の座席があります。だから、馬を数十頭搭載出来たとしても、帯同出来る人は座席分にしかなりません。
野元 現実にはほんの数頭しか行っていなかった。
清田 そうですね。シーザリオの時も1頭です。だからほとんどが一般貨物との混載という形になります。
野元 はい。
清田 近年、燃料効率の高いエンジン2発のボーイング777が貨物機として導入されています。最大積載量は100トンです。ドバイやサウジアラビアの国際競走ではこの機材がチャーター機として利用されています。航空会社によっては、この機材でも管理者用に10席を設置しているものもあります。
野元 だいぶ機材も変わって来てるんですね。
清田 馬の空輸と言っても輸送中、輸送後の管理は重要だと思います。レースに出走する場合の管理と、海外のセリなどで購入・輸入されてくる場合とでは大きな違いがありました。例えば、キーンランド(米ケンタッキー州)などのセリで購入され、成田空港や北海道の胆振の動物検疫所に運ばれて来る輸入馬のコンディションは、90年代後半に至ってもあまり良くなかったですね。
野元 昔は日本に来て体調を崩す馬が多かったと聞いたことがあります。
清田 一度、オーナー側から輸入種牡馬の検疫管理をして欲しいと言われたことがあります。検疫明け直後に展示会をやるので、検疫期間中に馬のコンディションをちゃんと整えて出してほしいと言われていました。
一つの出来事として、あの頃、検疫業務では牧場を退職された方が業務に就かれていることが多く、同じ時期に一緒に胆振検疫所に入っていたのですが、飼葉に燕麦とふすまを混ぜて、あまに煮を入れて食べさせていました。でも、海外の馬にそんな飼葉を与えても食べないです。既に海外は配合飼料の時代でした。
野元 なるほど。
清田 ただでさえ、長距離輸送で疲労しているのに、そんな飼葉をあげても食べないから、どんどんやせていくんです。
野元 90年代にトレーニングセール出身の米国産馬が活躍したのですが、来てすぐはいいけれど、徐々に馬が細っていくといったことが言われていた。あと、あまりいい話でないのですが、米国の場合は薬物という問題もあり、段々(効き目が)抜けて来て、(競争力が落ちる)というような話もありました。
清田 そういう話もありましたね。
野元 日本に着いてからの管理の仕方にも問題があったのでしょうね。
清田 それもあると思います。そこには問題意識の違いがあると思います。当時、米国・アイルランド・日本の3カ国でオペレーションしていた大樹ファームでは、飼料管理面でも既に海外のやり方の影響を受けていました。
一方で、大先輩には失礼ですが、燕麦にふすまを混ぜてあまに煮を入れて与える方法は、日本に着いたばかりの外国の人に納豆を食べさせるようなもので(笑)。食べないから段々、飼い葉桶が匂いを発するようになり、ますます食べなくなる。何か、馬と我満比べしているようで…。不思議で、そういうことにすごく疑問を感じていました。だから、輸送と検疫の管理の方法は、自分として重要だなと認識していました。
野元 なるほど。
清田 その後、高岡調教師がシンガポールに移籍するのですが、当時は既に、輸送計画・管理や出国・現地の入国検疫管理などについて、これまでの経験から自分なりの段取りのようなものを持っていました。だから、それを実践していました。
野元 なるほど。
清田 そういう領域は馬の管理の中でも目立たない部分ですが、そういう経験も帰国後に栗東での遠征で活かしていました。
野元 馬の空輸に関して言えば、輸入馬の数が減った半面、遠征は当たり前になった。遠くに運ぶことに関しては、むしろ日本から出ていく方が多くなって、現実に海外での日本調教馬のパフォーマンスを見ていると、その部分はそれなりに進歩したのかなと。個人的にはそう判断していますが、その辺はどうお考えですか?
清田 私もそう思います。シンガポールに(高岡調教師が馬を連れて)移籍した当時は、数週間後にレースを使うといった状況の馬ではなかったのですが、アメリカンオークスのシーザリオは、輸送して2週間弱で実戦だったので、現地に持ち込む道具や飼い葉、獣医師の手配など輸送・検疫管理計画の段階でしっかり準備して行きました。
シーザリオの渡米の際、獣医さんは貨物機に搭乗していなかったのですが、その後の遠征辺りからは、社台ファームやノーザンファームの馬が多かったこともあって、貨物機に帯同する形が一般的になってきたと思います。
野元 日本の場合は比較的に、滞在が長丁場にならない、行ってすぐ走るというヒットアンドアウェイ的な使い方で結果を出してきたイメージがありますね。
清田 そうですね。これまでの経験から恐れながら申し上げますと、香港とかの4〜5時間の輸送に関しては、野元さんがおっしゃったようにヒットアンドアウェイですので、輸送環境が重要になってくると思います。
よく新聞で機材整備のため、2時間遅れで成田空港を出発という記事を見ると、せっかく短時間で行けるのに…という思いでおります。シンガポールへは7〜8時間、ドバイは12時間程かかりますが、それでも1分でも不要な待機時間などを減らせるよう段取りを見直したりしていました。ただ、この地域は、気候の要素が大きいので、その部分に関しては、ある程度輸送後に。
野元 慣らし期間のようなものが必要だと。
▲ドバイ遠征時のアーモンドアイ、海外遠征は1分でも不要な待機時間などを減らせたら… (撮影:高橋正和)
清田 外国の調教師もよく、クライマタイズ-Climatize(気候順応)という単語を使っています。一方で、豪州は日本からの直行の貨物便が少なく、シンガポールで乗り換えとなっていました。そこで2〜3時間程待たされるので、日本の厩舎の馬房から現地の検疫馬房までの総輸送時間は20時間程になります。
ここまで時間がかかると、到着後の体調の回復時間も十分に必要になります。私がアイポッパーの豪州遠征(05年)と翌年のデルタブルース、ポップロックで(メルボルンCに)行った際は、日本で長期滞在の遠征の代名詞となっているエルコンドルパサーほどではないですが、最初は前哨戦のコーフィールドCを使って本番となったので、必然的に滞在が長くなりました。
野元 でしたね。
清田 あと、米国に関して言えば、西海岸の12〜13時間の輸送が、ヒットアンドアウェイに近い形になります。
野元 割とすぐ入れますよね、現地に。
清田 はい。これがフロリダや東海岸になると米国内で乗り換えることになり、総輸送時間は20時間を超えます。同じ米国の競馬でも、輸送時間からすれば豪州のような前哨戦を使うバターンとなり、ヒットアンドアウェイの形ではなくなります。
JRAも検討してきた経緯が――1992年に空輸テストを実施
野元 はい。で、今回のテーマである「国内でも空輸」をという話に移りますが、例えばイメージとして、美浦の馬が小倉に行く場合、今のやり方だと20時間仕事。車だけでほぼ1日ということになっていますが、仮に美浦から小倉に空輸しますという場合、馬の動線がどういうことになるかを説明していただけますか。
清田 まず、馬の動線の話の前にこれを見て下さい。(空港と競馬場・トレセン間の輸送時間)この資料は、競馬場あるいはトレセンと空港間の陸上輸送の時間なのですが、例えば新千歳空港から札幌競馬場の場合、馬運車での輸送時間が約1時間とちょっとかかります。ただ、函館、新潟では、それぞれ13分、17分と20分弱で、中京、小倉も40分弱で陸送が出来ます。
更に、成田空港と美浦トレセン間は35分程です。美浦トレセンは、高速道路整備の遅れを含めて、陸上輸送のアクセスの点において決して便利な場所ではありません。ただ、馬の空輸に関しては地理的に非常にいい環境です。
野元 美浦から成田まで35分。私も以前、人の車に乗せていただいて美浦から東京まで帰って来たことがありました。成田経由ですよね。成田を横目に見ながら東京に戻って来て、こんなに近いのかと思っていました。
清田 美浦トレセンは、成田空港へのアクセスの利点を活かすことで、全輸送行程を5〜6時間で完了出来るという仮説を立てています。
野元 ドアトゥドアで5〜6時間ということですね。
清田 そうです。美浦トレセンから出走予定の競馬場到着までです。
野元 小倉なら小倉競馬場の出張馬房に入るまで、5〜6時間。
清田 はい。5〜6時間です。ただ、目標は5時間です。それを実現させて、美浦から空輸しない福島、東京、中山を含めて、国内全場に5時間以内で輸送出来ればと考えています。
野元 北海道も、ということですね。
清田 はい。函館競馬場、札幌競馬場もそうです。今、札幌市では、管理する丘珠空港の滑走路延伸計画が議論されていると聞いています。これがもし2000mになれば、新千歳ではなく丘珠空港を経由して札幌競馬場までもっと早く到着することが可能になります。
野元 なるほど。5時間とおっしゃいましたが、まず空港まで車で運んで積み込む。で、飛行機が飛びます。降ろして、着いた空港にまた車が待っていると思いますが、もう一回積んで競馬場にという形ですね。フライトの時間はどんなに長くても、例えば成田から小倉、札幌辺りで飛行時間は約2時間。積み込みにはどの程度、時間がかかるのですか。
清田 私が今やっていることは、フィージビリティスタディ(実現可能性の検証)で、テーマが3つあります。その1つにオペレーションの検証があります。野元さんがおっしゃった積み替えと積み込みなど、空港内のオペレーションがあります。それを検証するために私は昨年、東京五輪・パラリンピック馬術競技の公式輸送会社である日本馬匹さん(日本馬匹輸送自動車株式会社)でお手伝いさせて頂きました。
野元 そうなんですか。
清田 今回、羽田空港のオペレーションを担当させて頂いたのですが、延べ頭数が約640頭。1機当たり40頭くらいをベルギーから羽田まで積んで来ます。
野元 直行ですか?
清田 チャーターで、ドバイで給油のため着陸します。
野元 では1回着陸するのですね。
清田 はい。大体、総行程16時間くらいです。
野元 16時間ですか。
清田 空港のオペレーションで、40頭を積み降ろして馬運車に積み終わるまでに、約2時間くらいかかりました。
野元 40頭で2時間。
清田 (競走馬の国内空輸で)これまで航空会社と研究して来た輸送頭数は、それよりも少ない1機当たり20頭弱を想定しています。
野元 なるほど。競馬の場合は一度にその程度の頭数を積むイメージなんですね。
清田 40頭で2時間かかったのですが、今回、羽田空港でのオペレーションをやってみて、新たな作業方法や設備も検討しました。その結果、私の想定では(空港内の)オペレーションは40分程度で可能と考えています。
野元 20頭弱の想定なら、40分程度で積み降ろし作業は終わるということですね。
清田 はい。
野元 あ、積み込みも。出す方もされたわけですね。競技が終わって送り出す方も。
清田 そうです。もう一つ見ていただきたいのですが、(新聞見出し)実は、1992年に…。
野元 ちょっと記憶にあります。
清田 JRAが空輸テストをやってるんです。美浦トレセンから羽田空港経由で札幌競馬場まで7時間で。今回、想定しているのは、羽田空港でなく成田空港なので、もっと時間は縮められる。
野元 縮まりますね。
清田 だから、5時間も不可能でないと思っています。
野元 なるほど。
清田 JRAも92年の空輸テストでここまでの実績を作ったので、今回のフィージビリティスタディを進めるにあたっても、これがひとつのベースになると思います。
(2/2公開の第3回へつづく)
清田俊秀
熊本市出身。九州大学大学院経済学府産業マネジメント専攻。国内外の牧場、トレセンにおいて現場と管理業務で実績を積む。2000年代のからの日本馬の主な海外遠征に従事。2014年から競馬東西格差の研究をはじめ、2017年から航空会社と貨物輸送について共同研究を開始。馬匹輸送分野から見た日本競馬の発展をめざしている。
論文等:
『競馬界の東西格差解消への提言-馬匹航空機輸送システム導入に関する一考察-』
『競馬イノベーションに伴う物流業界並びに地方創生への波及効果について-国内初の定期馬匹航空貨物システム導入に関する一考察-』
平成31年度日本中央競馬会振興事業
『日本産馬輸出拡大のための流通コスト低減と国際競争力強化について』
『東京2020オリンピック・パラリンピック大会におけるグローバル・エクワイン・ロジスティックスの役割-羽田空港オペレーションに関するレポート-』