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落馬寸前で踏ん張った弟子、再騎乗した師匠

  • 2022年07月21日(木) 12時00分
 先週の日曜日、7月17日の函館第2レースにおける、ルーキーの鷲頭虎太騎手の騎乗がツイッターなどで話題になった。

 1コーナー手前で、騎乗したリュウノイチモンジの前脚が前の馬に触れて躓き、落馬寸前になりながらも馬上にとどまり、見事、完走したのだ。

 鷲頭騎手は、あのレースで私たちを3度大きく驚かせた。

 一時は両足の鐙が外れて馬の首にしがみつき、馬体の側面から落ちそうになったが、踏みとどまった。これが最初の驚き。

 次に、どうにか体勢を立て直したとはいえ、鞍にお尻を打ちつけながら1、2コーナーを回っていたのに、ほとんどスピードを落とすことなく向正面で足を鐙に置きなおし、2度目の驚きを与えた。

 3度目の驚きは最後の直線。まず左ステッキを入れてから鞭を持ち替え、右で2発叩きながら手綱を持ちなおし、最後まで追いつづけたのだ。最下位の14着だったとはいえ、13着の馬からコンマ2秒遅れただけでゴールした。

 あの速度で瞬時に大きな衝撃を受けてバランスを崩し、激しく揺られながらも鞭を手放さずにいたのだから、たいした根性だ。まだ映像を見ていない人は、JRA公式サイトの「裁決パトロール」などでチェックしてほしい。

 鷲頭騎手が諦めずに乗りつづけ、ゴールする姿を見て、私は、彼の師匠の千田輝彦調教師が、騎手時代、落馬してから再騎乗し、ゴールしたことがある──と話していたことを思い出した。

 で、鷲頭騎手が落馬しそうになって体勢を立て直すシーンの動画をアップしていた人のツイートを引用する形で、「鷲頭虎太騎手、よく踏ん張った。最後の直線では鞭を持ち直して(注:「持ち替えて」の誤り)追っていた。師匠の千田輝彦調教師は、騎手時代、レース中に落馬して再騎乗したことがあった」とツイートした。それにたくさんの「いいね」がつけられ、リツイートする人が増えていくにつれ、千田調教師が落馬して再騎乗したというのが記憶違いだったらどうしよう、と不安になってきた。

 そこで、「千田輝彦 落馬 再騎乗」で検索してみた。が、何も出てこない。手元にある資料の「落馬→再騎乗あらかると」というデータを見ても、平地競走では、1999年6月5日の中京第5レースで、ブイクリッパーに騎乗した高田潤騎手が落馬して再騎乗してから、また落馬して再々騎乗し、勝ち馬から2分ほど遅れてゴールした例が出ているだけだ(ダート1000mで3分0秒6もかかっている)。

 こうなったら本人に確かめるしかない──と、落馬、再騎乗したことがあったかどうか千田師にSMSで訊ねると、すぐに電話がかかってきた。

「ありましたよ。福島で」

 その言葉を聞いて、ほっとした。千田師はつづけた。

「ゲートを出て2歩目くらいで馬がビタッと止まって、落馬したんです。そのまま馬がじっとしてたんですよ。そうしたら、ゲートの係員が『また乗れば?』と言うので、跨って、走らせたんです。1頭だけで走るのは怖かったですよ。ゲートを出て止まっちゃうような馬ですから。ゴールしたのは、先に入線した馬が、こっちに向かって帰ってくるくらい遅くなってからでした」

 いつのことだったかも、何という名の馬だったかも記憶は曖昧だが、音無秀孝厩舎の馬だったことは確かだという。

 そこで、netkeiba.comのデータベースで、音無師の管理馬のプロフィールを、最も古い1989年生まれの馬から順に1頭ずつ見ていった。もうすぐ40頭目になろうかというところに、その馬がいた。

 ホーシューリバティという、1994年生まれの牡馬である。

 成績表では、デビュー2戦目、1997年11月8日の福島第2レース(芝1200m、16頭立て)の旧4歳未勝利戦の着順が「16(再)」となっている。1着馬との差は21.5秒だ。

「障害ではときどきあったのですが、平地のレースで落馬、再騎乗でゴールしたのは何十年かぶりだ、と言われました」

 そう話した千田師の前に平地で落馬、再騎乗をした人馬については、残念ながら、調べ切れずにいる。

 ともあれ、弟子の鷲頭騎手が劇的なリカバリーを見せた四半世紀前、師匠も、かなり状況は異なるが、一度はレースが終わりそうになりながらも諦めず、しっかりゴールした──という経験を有していたのだ。

 なお、2017年1月1日から、落馬、再騎乗は、ルールの国際調和および騎手と馬の保護の観点から禁止になっている。

 それにしても、鷲頭騎手が怪我をせずに済んでよかった。鷲頭騎手の前で斜行した馬に乗っていた横山和生騎手に10万円の過怠金が科されたが、千田師はこう話す。

「無事でよかったけど、あれは鷲頭の自爆みたいなものです。とにかく、お前ちゃんと乗れよ、と言いたいです。まあ、伊藤雄二先生も、若いころのぼくを見てそう思っていたでしょうけど」

 千田師は、騎手としてデビューした88年から95年まで、伊藤雄二厩舎に所属していた。伊藤元調教師は、マックスビューティ、ウイニングチケット、エアグルーヴなど数々の名馬を育てた伯楽で、2007年に引退した。

 弟子に対する千田師の言葉は活字にするとキツく思われるかもしれないが、声は笑っていた。

「まあ、あのあと、7レースで勝ったし、よかったです」

 鷲頭騎手が、地元の函館で開催最終日に4勝目(デビュー通算5勝目)を挙げ、成長の証を見せたことを喜んでいた。

 今回の落馬寸前からのリカバリーによって、尋常ではない根性と体幹の強さ、対応力、レースに対する執着を持ったルーキーだと広く知れ渡ったことも、師匠として、喜んでいるような気がする。

 優しい後ろ楯に支えられた、鷲頭騎手の飛躍に期待したい。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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