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【月刊 川田将雅】会話はすべて英語!? 外国人ジョッキーたちとの交流で綴る『WASJの舞台裏』

  • 2022年09月01日(木) 18時01分
“VOICE”

▲3年ぶりに開催されたWASJの舞台裏を語ります(撮影:高橋正和)


8月27日、28日に行われたWASJ(ワールドオールスタージョッキーズ)、3年ぶりの開催で開催地札幌は大いに盛り上がりました。川田騎手は総合2位という結果で、久々にWASJの雰囲気を味わい充実した2日間だったと振り返ります。2018年からの付き合いだというD.イーガン騎手とのやり取りや、減量に苦しむT.バシュロ騎手の様子、ずーっと喋っているというC.ウィリアムズ騎手など、WASJの裏話を詳細に語ってくれました。

そんな川田騎手、やはり英語はペラペラで外国人騎手とも上手くコミュニケーションを取っているのかと思いきや、英会話の勉強は「まったくしていません」とキッパリ。どうやら英語の勉強とは決別した過去があるようで…。ストイックなイメージが崩壊してしまうような、川田騎手と英語にまつわる衝撃の“クソガキ時代”が明らかになります。

(取材・構成=不破由妃子)

「デーヴィッドは出世するよ」親交のあるD.イーガン騎手と再会


──3年ぶりに開催されたWASJは2位。土曜、日曜と外国人ジョッキーたちの競演を楽しませてもらいましたが、川田さんにとっても刺激的な週末だったのではないですか?

川田 久しぶりに味わう雰囲気のなか、充実した時間を過ごせました。デーヴィッドが初めて日本に来ましたしね。

──デーヴィッド・イーガン騎手(英)とは、2018年のイギリス遠征以来のお付き合いだそうですね。

川田 僕がお世話になっていたロジャー・ヴェリアン厩舎に彼もいたので、毎朝一緒に調教に乗っていました。僕のつたない英語を一生懸命聞いてくれて、なんとかコミュニケーションを取ろうとしてくれてね。彼は前の年のアプレンティス(見習い騎手)チャンピオンだったのですが、一緒に調教に乗った瞬間、「あ、上手だな」と思いました。

── 一緒に調教に乗っただけでわかるものなんですね。

川田 もちろんわかります。当時のデーヴィッドはまだ19歳でしたが、ロジャーと花子さん(ロジャー調教師の妻)に「デーヴィッドは出世するよ」と話したことを覚えてます。そのあとすぐにミシュリフに出会ってね。ポンポンと大きいところを勝ったことで(2021年のドバイシーマクラシック、英インターナショナルSを勝利)、いまやこうしてイギリス代表としてWASJに参戦しているわけですから。

“VOICE”

▲WASJで初来日したD.イーガン騎手(撮影:高橋正和)


──ずっと交流は続いていたのですか?

川田 頻繁にというわけではありませんが、それなりにやり取りはしていました。昨年、ブリーダーズカップのときにアメリカで会ったら、僕が知っている頃に比べてだいぶ背が伸びて、雰囲気もちょっと大人っぽくなっていてびっくりしました。

 今回も日本に来る前に「道具はどれくらい持って行けばいい?」と連絡があったので、「心配しなくていい。道具は俺がたくさん持っているから大丈夫だ」と。日本はレースとレースの間隔が短いからまとめて検量するけれど、向こうは1レースごとに検量できる時間設定なので、日本のジョッキーのようにたくさん道具を持っていないんですよ。

──そうなんですね。ということは、WASJの期間中は、必要に応じて川田さんが貸していた?

川田 デーヴィッドが検量するときについて行って、あと何キロ必要かがわかった時点で僕の鞍置きに戻って、必要な道具を貸したりしていました。来日前に道具についてやり取りをしているときに、デーヴィッドからも「なにか欲しいものある?」と聞かれたので、凱旋門賞用の

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1985年10月15日、佐賀県生まれ。曾祖父、祖父、父、伯父が調教師という競馬一家。2004年にデビュー。同期は藤岡佑介、津村明秀、吉田隼人ら。2008年にキャプテントゥーレで皐月賞を勝利し、GI及びクラシック競走初制覇を飾る。2016年にマカヒキで日本ダービーを勝利し、ダービージョッキーとなると共に史上8人目のクラシック競走完全制覇を達成。

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