寒中お見舞い申し上げます。本年も熱視点をどうぞよろしくお願いいたします。
さて、年々やり取りする相手は少なくなっているが、私は毎年、直筆でひと言添えた賀状を出している。親戚や友人、編集者、記者、イラストレーター、カメラマン、俳優、アナウンサー、ディレクター、プロデューサーなどのマスコミ関係者、馬主、調教師、騎手、生産者、そして同業者や先輩作家といった個人のほか、出版社や編集部などの組織ともやり取りしている。
なかには賀状が互いにとって唯一のコミュニケーション手段になっている人もいて、それも、ひとりや2人ではない。「今は年賀状のやり取りだけになったんだけどさ」という関係である。
そのひとりであるスポーツジャーナリストが出版社を立ち上げたり、編集者が異動したり、書店の店長が退職したり、生産者が結婚したりしたことも賀状で知った。
私からの賀状を受け取った人は、毎年同じ万年筆で記された、同じくらいの長さのメッセージを見て、変わらずやっていることをわかってもらえればいいと思っている。
一方、近年、というより、特に今年限りで賀状を取りやめる個人や団体が増えていることも事実だ。日本郵便によると、ピークだった2004年は44億5936万枚だった年賀ハガキの発行枚数は、22年は19億860万枚、23年は16億4000万枚と激減している。
私とやり取りのあった2人と3つの組織も、今年で「年賀状じまい」にするという。
2人の個人はともに高齢で、ひとりは「終活・断捨離として」、もうひとりは「元旦まで賀状を失念していた自身を看過しがたく」という理由である。
3つの組織のうちの1社からは「SDGs推進の一環である環境保全に向けた事業取組のひとつとして」と理由を記したハガキが去年のうちに届いた。もう1社からは賀状に「移動や対面が減っている昨今、その時々のお声やSNSなどでの日常のやり取りをより大切にするため」と、そして別の1社からは「近年の虚礼廃止の流れを鑑み」と理由が記されていた。
それはいいのだが、これからも賀状を出すつもりの私にとって、「虚礼」の2文字は、新年早々「そりゃあんまりでしょう」という感じだった。組織にとって賀状は儀礼的なものかもしれないが、ひとりの人間が、大切な人の姿を思い浮かべながら筆を走らせることまで「虚礼」と括られては身も蓋もない。「いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんです」と言われそうだが、肝心なのは、どういうつもりで言ったかではなく、どう受け止められたかである。要は、言い方の問題であって、私はもちろん、賀状を積極的な理由で取りやめる人や組織があっていいと思っている。
JRA賞が発表され、オジュウチョウサンが、大接戦の1票差で最優秀障害馬のタイトルを獲得した。オジュウが138票、ニシノデイジーが137票、該当馬なしが8票、ホッコーメヴィウスが5票。該当馬なしの票の行方がちょっと変わっていれば、史上最多の5度目のJRA賞受賞の栄冠はならなかったかもしれない。選んだのは人間だが、この劇的な結果を導き出したのは、やはりオジュウの力なのだと思う。種牡馬としても、成功してほしい。
馬事文化賞はabn長野朝日放送のドキュメンタリー番組「木曽馬と生きる〜風わたる里 開田高原〜」、特別賞には藤沢和雄元調教師を追ったNHKの番組「幸せな人間が幸せな馬をつくる〜調教師 藤沢和雄 最後の400日〜」が選ばれた。権利関係などが難しいのかもしれないが、グリーンチャンネルで再放送してくれると嬉しい。
グリーンチャンネルといえば、来週水曜日、1月18日の午後11時から特番「水曜馬スペ! 日本競馬とともに〜「優駿」81年のあゆみ」が放送される。1時間番組で、私がナビゲーターをつとめる。1941年に創刊された月刊誌「優駿」の歴史を振り返りながら、長く執筆してきた吉川良さんや、対談コーナーのホストをつとめる杉本清さんらの証言を紹介していく。
本稿がアップされてからオンエアまで1週間近くあるし、何度も再放送があるので、またあらためてお知らせしたい。