先日、グリーンチャンネル「草野仁のGate J.プラス」のスタジオ収録に立ち会った。ゲストは矢作芳人調教師だった。
矢作師が管理するパンサラッサはサウジカップを勝って獲得賞金歴代3位となり、ドバイワールドカップで4着以内になっていれば歴代1位になることができたのだが、10着に敗れた。収録前、「ドバイターフではなくワールドカップに向かったのは、4着以内に来てくれればいいという思いもあっての選択だったのですか」と私が訊くと、矢作師は首を横に振った。「賞金でトップになるかどうかは、レース選択においてまったく考えなかった」とのことだった。あくまでも、パンサラッサが勝てる確率の高いほうとしてワールドカップを選んだのだという。
直線に向いて後続に呑み込まれていく感じから、最下位に沈むのではないかと思われたが、あの馬の後ろでゴールした馬が5頭もいた。矢作師も、しんがり負けになってもおかしくないレースだった、と話していた。ハナ争いをしたパンサラッサ以上に直線で苦しくなった馬が何頭もいたということは、それだけ厳しい流れだったのだろう。
翌日栗東取材が入っていたので、収録の途中で抜けるつもりだったのだが、矢作師の話が面白かったので、結局、最後までいることになった。
コロナ禍になってから、美浦トレセンの厩舎には何度か足を運んだことはあったが、栗東トレセンの門をくぐったのは今回が初めてだった。ここ3年ほどの栗東取材のほとんどは門の外の事務所か、取材対象のお宅か、近くの店だった。
新しくなった調教スタンドの前に立っていると、初めて来た30年ほど前、旧スタンド1階の食堂で食べた肉うどんが美味しくて驚いたことなどを懐かしく思い出した。あの味や、草津駅近辺からの景色などもセットになって栗東トレセンが好きだった。
今回は、囲み取材以外では初めて話す騎手のインタビューだった。部屋などが埋まっており、外にパイプ椅子を置いての取材となったのだが、快く応じてくれた。
久しぶりに栗東の空気を吸ったり、こうして初めての人から話を聞いたりするのは楽しいと思うのだが、仕事を始めて35年ほどになる今、思い返してみるまでもなく、書きながら楽しいと思ったことは一度もない。書いている時間、イコール、苦しんでいる時間という日々を、私はずっと過ごしている。
もちろん、モノをつくるのは好きなので、原稿が記事になり、それが特集の核となったり、雑誌の表紙に名前が出たり、さらに書籍化されたりして形になると、えも言われぬ充足感を得られるし、いい仕事だよなあ、とは思う。ただ、それと、書きながら楽しむかどうは別物である。
前にも書いたように、間違いないのは、私は、ほかの仕事をして生きていくことはできないということだ。自分にできるのは書く仕事だけで、ほかに道はない。だからこそ人後に落ちるわけにはいかない、という意味での誇りと自信ももちろん持っている。
といった話を、取材対象の騎手にしたら、笑っていた。
最後に、もうひとつ、余談を。
誰もが、多かれ少なかれ、家族や友人などの他人が期待する自分の姿、他人がこうあるべきだと思う自分の姿などから構成される「虚像」をつくり、それを意識するはずだ。その「虚像」と、自分の「実像」を比べると、いろいろな面で「実像」を物足りなく感じ、それが行き過ぎると、自分の「実像」、すなわち「ありのままの自分」が嫌いになってしまう。「実像」を無理やりにでも大きくして、「虚像」に追いつかせようとするからだろう。
そうではなく、「虚像」は「虚像」としてそのままにし、「実像」と比べるべきものではない、と、とらえてはどうか。「実像」すなわち「ありのままの自分」は無条件に受け入れて愛すればいい。ひとつの処世術として、ときに自分の「虚像」に合わせた言動をするなど、「虚像」のとらえ方を間違えさえしなければ、他人の期待で「虚像」を組み立てること自体は別に悪いことではない。
といった話も、その騎手とした。
これらは余談なのだが、本題のほうはもっと面白かった。面白かっただけに、クオリティを保ったまま、限られた文字数で、限られた時間のうちにまとめなければならないという、大きな責任を背負うことになる。それを笑いながら書けるほど、私には余裕がない。逆に、インタビューがつまらなかったとしても、ページとして成立するよう構成しなければならない。どのみち、苦しみながら書くしかないのである。
ともあれ、トップホースマンの話は面白い。それをこの2日で再認識することができた。
余談のつもりが、その余談のほうが長くなってしまった。