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【相談者:小林淳一教官】「自分たちの時代とは違う」若手騎手との向き合い方について──善臣騎手に求める意見交換

  • 2023年07月10日(月) 18時01分
soudanyaku

▲今回のゲストは競馬学校の小林淳一教官(提供:JRA競馬学校)


JRAが誇る最年長ジョッキーで、日本騎手クラブの“相談役”を務める柴田善臣騎手。ファンからも競馬関係者からも信頼の厚い善臣騎手が“相談役”として、皆様のお悩みや質問に、自らの体験談を織り交ぜながら答えていくリレーコラムです。

今回のゲストは騎手時代の後輩で、今は競馬学校の教官として未来のスタージョッキーを育てる小林淳一教官です。騎手を引退して教官へ転身する際には、善臣騎手に背中を押してもらった過去もあるとか。現在はそれぞれ違う立場に立つおふたりが、今の時代に合った若手騎手との向き合い方について意見交換を行います。

(構成=netkeiba編集部)

怒られ慣れていない子たちへの指導にあたり感じるジレンマ


──ジョッキー時代は相談役とは先輩後輩の関係でしたね。

小林 善臣さんが競馬学校の1期生で、自分が8期生でした。

──相談役との思い出話があったら聞かせてください。

小林 善臣さんの家に呼んで頂いたりして、家族ぐるみでお世話になっていました。

──相談役の家ってどんな感じだったのですか?

小林 動物がたくさんいてペットショップみたいでしたね(笑)。当時はスタンダードプードルを飼われていて、とても大きかったですけど、可愛かった思い出があります。

──他にはどんな動物がいました?

小林 鳥もいましたね。鷹だったかな? ある年は夏の新潟滞在に鷹を連れてきていて、競馬場の車庫で面倒を見ていたのを覚えています。

──そんな小林淳一騎手でしたが、どのようなきっかけで競馬学校の教官に転身することになったのでしょう?

小林 自分は2012年に現役を引退したのですが、実はその2年くらい前から教官にならないかというお話は頂いていたんです。ただ当時はまだ現役を続けたい気持ちが強かったので、お断りしたんですよね。しかしその後も成績は上がらず、騎乗数も減っていくなかで再びオファーを頂いて決断をしました。

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▲引退式で騎手仲間から胴上げをされた小林淳一教官(C)netkeiba.com


──簡単な決断ではなかったのではないですか?

小林 はい。まだ体は動いていましたし、未練がなかったわけではありません。ただ騎手として結果を出せていない現実がありましたし、家族のことや生活のことを考えた時に、決断をしなければならないと思いました。

──周囲に相談などはしたのですか?

小林 ギリギリまで騎手仲間には知らせなかったのですが、善臣さんと蛯名(正義・現調教師)さんには早めにお伝えしました。

──相談役の反応は?

小林 「いいんじゃないの?」って感じで背中を押してくれましたね。

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▲引退式では善臣騎手とツーショットでの写真撮影も(C)netkeiba.com


──実際に教官になられてからは?

小林 最初は蓑田(早人)さんと横山(賀一)さんが先輩の教官としていらっしゃって、自分は蓑田さんの下につかせてもらったのですが、当初は分からないことだらけでしたね。

──どういうことでしょう?

小林 生徒に乗り方や騎乗姿勢を指導する時の声の掛け方が遠回しというか、ストレートじゃないんですよ。しかし時間が経つにつれて分かってきました。自分はジョッキーの目線や、ジョッキー同士が使う言葉しか持っていなかったんです。でも、いま目の前にいる生徒たちはまだジョッキーではないんですね。そういう子たちに、どうジョッキーの感覚を伝えるのか。それを蓑田教官は実践されていたんです。

──具体的には?

小林 例えば乗り手に対して「もっと上体を低くして乗れ!」と指示をします。ジョッキーであれば、当たり前に姿勢を低くできるんですが、生徒にはこれが伝わらない。そんな時に蓑田教官は「ヒジを下げてみろ!」と言うんです。そうすると自然と乗り手の姿勢が低くなるんですよね。ジョッキー同士ならば分かる感覚的な動きを、具体的な体の部位を挙げて伝えることで円滑にしていたんです。ですから自分もいかに分かりやすく“ジョッキーの感覚”を生徒たちに伝えるかを心がけるようにしています。

──ご自身が競馬学校生だった頃と比較して今の若い生徒たちの特徴を教官としてどう捉えていますか?

小林 難しいですね。自分たちの時代は体育会系というか、先生が“黒”と言えば“黒”。“白”と言えば“白”でした。それは競馬学校に限らず小学校、中学校でもそうでしたよね。良し悪しはともかく頭ごなしに怒られながらずっと育ってきたわけです(苦笑)。でも今は全く違います。怒られ慣れていないというか…。生徒の性格を考えながら優しく声をかけたり、時には厳しめに言ったりと、個々に合った指導をする必要があると感じています。

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▲「生徒の性格を考えながら、個々に合った指導をする」(提供:JRA競馬学校)


──なるほど…。しかし実際にデビューしてからは厳しい競争社会が待っているわけですよね?

小林 おっしゃる通りです。そういう部分でもジレンマというか、難しさがありますね。

「教官の道に興味はありますか?」相談役へ4つの質問


──ではそんな小林教官から相談役への質問をお願いします。4つあるそうですね。(※こちらの4つの質問ですが、一つ目は小林教官からのご質問、二つ目以降は小林教官と編集部が事前協議をし、編集部の要望も踏まえた内容となっております)

小林 はい。まずは善臣さんから見て、競馬学校を卒業してトレセンに来たばかりの子たちは、どんな印象ですか? 良いところ、あるいはもっとここがこうなれば…とか。自分たちの騎手課程時代と比較しての技術面なども含めて、率直なお気持ちを聞かせてください。

──2つ目は。

小林 善臣さんご自身が、今の若い子と接する時に、どんなことを心がけていますか?

──3つ目は。

小林 自分たちの新人時代と、今の子の時代はトレセンなど周囲の環境にどんな違いがあると感じていますか?

──最後の質問は。

小林 騎手のセカンドキャリアは決して幅が広くないと思います。自分は競馬学校の教官となりましたが、善臣さんは教官の道に興味はありますか? またセカンドキャリアで何かやってみたいことはありますか?

(文中敬称略、都合により善臣騎手からの回答は24日(月)にお届けします!)

1966年7月30日、青森県生まれ。元調教師の柴田政見、柴田政人、元騎手の柴田利秋が叔父にいる競馬一家。1985年にデビュー。同期は須貝尚介、武藤善則、石橋守ら。JRA騎手としては初となる黄綬褒章を受賞。1993年、ヤマニンゼファーで安田記念を勝利しGI初制覇。2005年から2010年まで日本騎手クラブの会長を務め、退任とともに相談役に就任。勝つごとにJRAにおける最年長勝利記録が更新されていくレジェンド。

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