重賞ウイナーからファンに愛されたあの馬まで、競馬から退いた後の知られざるエピソードをご紹介。
佐々木祥恵
「エスケープハッチの会」設立競走馬となるべく生を受けたその瞬間から、馬たちの運命は人間によって左右される。競走馬を引退した後の命を保障されている馬は、ほとんどいないと言っても良いだ...
佐藤哲三元騎手の名前を聞いた途端に大暴れ!今週末は、中山競馬場で中央競馬の今年最後の大一番、有馬記念が行われる。心に残る名場面はいくつもあるが、2002年の有馬記念で12番人気と低...
サラブレッドとも戦った競走馬時代モナクカバキチ。1999年4月29日に北海道の浦河町に生を受けたアングロアラブ種だ。中央競馬でもアラブが走っていた時代があったが、スピードに勝るサラ...
(つづき)「馬が幸せじゃないと何もしてくれない」美浦トレーニングセンターからほど近い茨城県牛久市にある乗馬クラブ「ホースガーデン」を取材したのは、前回もお伝えした通り、勢司和浩調教...
レインスティックに会ってほしい11月のある日、美浦近郊の乗馬クラブ「ホースガーデン」を訪ねた。一歩足を踏み入れると、まず緑の多さに目を奪われた。木々に囲まれた敷地は柔らかな秋の日射...
(前回のつづき)オーナーになる決意『ドーサンと私』この4月に淡路島でミヤマリージェントの取材をした際、お世話になった角山喜信さんに教えていただいたのが、徳島県の山間にあるクラブコル...
ガッシュと晴菜さんのコンビはいつまでも徳島空港に降り立つと、周囲は雨で煙っていた。この4月に取材でお世話になったミヤマリージェントを繋養している角山喜信さんが、淡路島からわざわざ徳...
大怪我を克服し、再び人を乗せられるようになった馬たち大怪我を乗り越え、今では現役競走馬の調教パートナーを務めたり、大人しくて安心して人を乗せられる馬として活躍している、忍者ホースク...
川島信二騎手がつないだ縁忍者ホースクラブの敷地に一歩足を踏み入れると、愛嬌たっぷりの犬たちが尻尾をパタパタと振り、子犬たちが飛ぶように軽やかに駈けてくる。しなやかな動きですり寄って...
最初に骨折も発見されていたら、今はなかったかもしれない10月3日、滋賀県東近江市にある忍者ホースクラブを訪ねた。忍者訪問は実は2度目。1度目は今年1月19日、大雪が降って馬場が真っ...
不遇な時代を経て、心穏やかに過ごした晩年ダービーを勝ったわずか17日後に、破傷風が原因で急逝したトキノミノル。作家の吉屋信子氏が「ダービーを勝つために生まれてきた幻の馬だ」と読売新...
流浪の民となったアイドルホース9月半ば、読者の方のリクエストにお応えして、あの馬に会うために千葉県御宿町のマーサファームを訪ねた。御宿町は、房総半島の太平洋側に面したいわゆる外房の...
※引退馬の現状と未来(2)「渡辺牧場の苦悩と決断」のつづき命拾いをしたセイントネイチャー渡辺はるみさんのご主人で牧場長・一馬さんの祖父様が軍馬の生産を始めたのが1931(昭和6)年...
※引退馬の現状と未来(1)「引退馬協会の取り組み」を無料公開中『馬の瞳を見つめて』北海道・浦河町絵笛にある渡辺牧場を訪ねたのは9月上旬だった。笑顔で出迎えてくれた渡辺はるみさんは、...
引退馬の里親制度を作りたい現在サラブレッドの生産頭数は、年間約7000頭と言われている。競走馬を引退した後は、一部が種牡馬や繁殖牝馬となり、その他は乗馬という名目で競走馬登録を抹消...
優しくて馬望の厚い“ナカちゃん”車は八戸方面から十和田市にある十和田馬術協会へと向かっていた。十和田とは、アイヌ語のトー(湖)とワタラ(岩、崖)が語源らしい。青森、岩手、秋田など東...
アテ馬の仕事を上手にこなすクワイエットデイ車は八戸市からさほど遠くない三戸郡階上町にあるワールドファームに向かっていた。車窓から見上げた空は、雲が広がりどんよりとしていた。どうか取...
2013年種牡馬引退、山内牧場で過ごすレギュラーメンバー馬産地として歩み出したのが平安初期と言われるほど、青森県の馬産の歴史は古い。その昔、この地方で生産された馬たちは、農耕や運搬...
※次ページでエリモシックのフォトギャラリーを無料公開中女傑・エアグルーヴと同期名馬たちの訃報が続く中、一頭の名牝が天国へと旅立っていった。エリザベス女王杯に優勝したエリモシックだ。...
エリモシックが余生を過ごした本桐牧場さんご提供の、貴重な写真を特別公開します。
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