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トゥインクルレース、25回目の誕生日

  • 2011年07月30日(土) 12時00分
 7月31日(土)、大井競馬場のトゥインクルレースが25回目の“誕生日”を迎えます。

 1986年(昭和61年)にスタートした日本初のナイター競馬。当時としてはとにかく画期的でした。なにしろ25年も前の話。今では常識となっていることでも、当時はまだこの世に生まれていなかったり、珍しかったりしたことが多々あります。

 まず何と言っても、当時の元号は昭和でした。平成になるのは3年先のことです。

 私はまだ文化放送の局アナ。入社4年目で、会社を辞めてフリーになるなんてまるで考えていなかったですね。競馬の実況に関しては、前年(1985年)12月の有馬記念(シンボリルドルフが2連覇)でデビューを果たしたばかり。といっても、その録音が当日夕方のスポーツ番組で流れただけで、生放送ではありませんでした。

 地方競馬全場踏破を目指して、あちこち旅に出ていたのがちょうどこの頃です。当時あった地方競馬場の数は27。さらに、札幌、函館、新潟、中京でも地方競馬を開催していました。その数が減っていくのは、88年(昭和63年)3月に和歌山の紀三井寺競馬が廃止されてから。96年(平成8年)に新しい盛岡競馬場、97年に門別競馬場がオープンしましたが、今ある地方競馬場は全部で17。25年の間に、ずいぶん少なくなったものです。

 全国の競馬場巡りに利用していたのはもちろん国鉄。民営化されJRとなるのは翌87年です。また、北海道の競馬場に行くときなどは、東亜国内航空の飛行機も使っていました。これが日本エアシステムになったのは88年、日本航空と経営統合されたのは2004年です。羽田空港は、昨年開業した国際線ターミナルのあたりに、国内線のターミナルビルがありました。

 86年当時の大井の馬券は、1枚で1つの買い目しか買えず、購入(額面)単位も200円、500円、1000円に限られていました。今のように100円単位では買えなかったんです。賭け式は単勝、複勝、枠連のみ。窓口は、賭け式と購入単位ごとに分かれていました。

 この時代の1000円券は“特券”と呼ばれていましたが、それよりスゴイ馬券がありました。たしか“万券”と言われていたはずです。そう、額面10000円の馬券。発売所の奥のほうにある特別な発券機で打ち出してくれる緑色の馬券でした。

 それと、当時の南関東の競馬場には、両替屋(払戻の代行屋)さんがいました。倍率10倍までなら実際より10円、10.1倍以上なら20円安い配当(その分が両替屋さんの手数料)になるのですが、窓口に並ばなくてもいいというのが便利でした。発売・払戻窓口の機械化が進んで姿を消してしまった商売です。

 10年ひと昔、という言葉がありますが、25年も前の話となると、まるで時代が違いますね。先週の「男の子の名前」に続いて、またまた年齢を感じさせるネタで失礼しました。

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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