9月11日は、東日本大震災から半年、アメリカ同時多発テロから10年という節目の日です。
2001年9月11日、私は大リーグ観戦旅行の真っ最中で、ニューヨークにいました。世界貿易センタービルの上層階が煙に包まれているところや巨大な炎が上がった瞬間(それが“2機目の激突”によるものだったことは後で知りました)を目の当たりにしたんです。
旅客機を使った前代未聞のテロ事件が発生したとわかったとき、まず思ったのは、次のテロが間近なところで今すぐ起きるかもしれない、ということ。そして、自分はいつ日本に帰れるんだろう、このまましばらくアメリカに足止めされたらどうしよう、とも思いました。事態が事態だけに、今後どうやって乗客や荷物の安全確認をして飛行機を飛ばすのか、見当もつかなかったからです。
でも、意外に早く帰ってくることができました。現地ではここに書ききれないくらいの“すったもんだ”があり、15日の「土曜競馬中継」には間に合いませんでしたが、同日の夕方には成田に戻ってこられたんです。
帰国してからの生活は、ふだんと全く変わらないものでした。アメリカで起きた事件だったために、日本への直接的な影響が大きくなかったからでしょうか。
一方、今年の3月11日。私はオッズパークのシンガポール競馬観戦ツアーでガイド役を仰せつかり、現地に行っていました。当日夜の競馬を見てから飛行機に乗り、翌12日朝に成田着。その足で中山に向かい、「ウイニング競馬」に出演する予定だったんです。
震災発生を受けて競馬観戦は中止。飛行機を羽田着の便に振り替えて12日朝には帰国できたものの、中山競馬も中止で仕事がなくなったため、“帰宅困難者”による混乱が続く中、自宅に戻るしかありませんでした。
それから数週間は、仕事のいくつかはキャンセル、原発事故も重なって、この先どうなるのかという不安感に包まれたまま過ごしました。みなさんも同様だったはずです。
私にとってこれは、2001年9月11日とは正反対の状況と言えます。どちらも“その時”にはたまたま海外に出かけていたんですが、01年の時は“現場”から日本に帰って、正直なところホッとしました。ところが、今年の3月11日の場合は平穏無事なシンガポールから“現場”に戻ってきたわけです。
改めて思い返してみると、“向こう側”と“こちら側”の落差、格差というものを痛感させられます。もちろん、東京にいて、そこそこ今までどおりに生活させてもらっている私は、テロや震災の被害を直接被られた方々に比べて、どれほど恵まれていることか。
あのテロ事件から10年で何がどう変わったのか。それと対比して、震災からこの先、何がどう変わっていくのかを考えたとき、ちょっと恐ろしくなってしまうのは、私だけでしょうか?