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“3冠馬の2着馬”のその後

  • 2011年10月29日(土) 12時00分
 菊花賞のオルフェーヴル、強かったですね。まぁ、3冠馬が出るというのはよほどのことですから、その菊花賞での勝ち方が鮮やかになるのは当たり前かもしれません。

 歴代7頭の3冠馬が菊花賞で2着馬につけた着差は、セントライト=2+1/2馬身、シンザン=2+1/2馬身、ミスターシービー=3馬身、シンボリルドルフ=3/4馬身、ナリタブライアン=7馬身、ディープインパクト=2馬身、オルフェーヴル=2+1/2馬身。こうして比べてみると、ナリタブライアンの7馬身差というのが飛び抜けていますが、今回の2+1/2馬身差はごく平均的。池添騎手がもっと追っていれば、さらに大きな差がついていたとも考えられますが、3冠馬のパフォーマンスとしてはあのくらいの差で文句ないでしょう。それにしても、シンボリルドルフは意外に僅差だったんですね。

 さて今回のテーマは、3冠馬が勝った3冠レースで2着に入った馬の話。オルフェーヴルより前の“3冠馬の2着馬”は、以下のとおりです。

1941年(セントライト)〜皐月賞・菊花賞=ミナミモア、ダービー=ステーツ
1964年(シンザン)〜皐月賞=アスカ、ダービー・菊花賞=ウメノチカラ
1983年(ミスターシービー)〜皐月賞・ダービー=メジロモンスニー、菊花賞=ビンゴカンタ
1984年(シンボリルドルフ)〜皐月賞=ビゼンニシキ、ダービー=スズマッハ、菊花賞=ゴールドウェイ
1994年(ナリタブライアン)〜皐月賞=サクラスーパーオー、ダービー=エアダブリン、菊花賞=ヤシマソブリン
2005年(ディープインパクト)〜皐月賞=シックスセンス、ダービー=インティライミ、菊花賞=アドマイヤジャパン

 このうち、3冠レースの後、最も大きなレースに勝ったのは41年のミナミモア。翌42年、鳴尾競馬場の帝室御賞典競走(春の天皇賞)に優勝しました。他に3冠レース後にG1級のレースを制した馬はいません。

 64年のウメノチカラは65年の新潟記念と毎日王冠、84年のスズマッハは85年のエプソムCと毎日王冠、94年のエアダブリンは同年暮れのステイヤーズSと95年のダイヤモンドS、05年のインティライミは07年の朝日チャレンジCと京都大賞典を制しました。“3冠馬の2着馬”は、その後どんなに頑張っても、重賞は2つしか勝てていないんです。

 3冠レースで3冠馬の2着になった馬というのは、その関係者には失礼かもしれませんが、どうも今イチ勝ちきれないところがあるようです。強い3冠馬に勝ち運をさらわれてしまうからでしょうか。

 今年の皐月賞2着馬サダムパテックと、ダービー、菊花賞でともに2着となったウインバリアシオンの今後はいかに。みなさんはどう予想しますか?

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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