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どうか穏やかな年で

  • 2012年01月07日(土) 12時00分
 謹賀新年。今年もnetkeiba.com並びに当コラムをよろしくお願いします。

 おかげさまでこの年末年始は、大井のふるさとコーナーと川崎競馬場で開催されたばんえい競馬の場立ち予想会やトークショー、その他あれやこれやで大忙しでした。また、去年2月のNARグランプリで引退をほのめかす爆弾発言をした兵庫の吉田勝彦アナウンサーが、大晦日になってもなお3つのレースで登場、さらに年明け3日の新春杯では北島三郎さんの熱唱を思わせる渾身の実況を披露して、いまだ健在というところを示してくれました。誠に喜ばしいかぎり(まさか、これでホントに引退、ってことはないでしょうね?)。まずはいい年越しだったと思います。

 さて、今年は近代競馬150周年。JRAのホームページには、これを記念するサイトも特設されました。

 それによれば、日本の近代競馬は、1862年(文久2年)に横浜の外国人居留地で行われた「洋式競馬」が始まりだそうです。

 日本史の年表を紐解くと、1853年(嘉永6年)にペリー提督の黒船が来航、長く鎖国を続けていた日本はここから開国の方向へ転換していきます。1858年(安政5年)の日米修好通商条約締結(その後、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約を締結)で横浜、長崎、函館、新潟、神戸が開港すると、各地に外国人居留地が設けられ、外国人の国内居住が認められるようになりました(ただし、日本人の立ち入りは厳しく制限)。海外からここに持ち込まれ、その後日本に定着していく様々な西洋文化の中に、近代競馬が含まれていたわけです。

 1862年の主な出来事としては、寺田屋事件(薩摩藩尊皇派の志士が起こした事件。坂本龍馬が宿屋の風呂に入っているところを襲撃された一件とは別物)、生麦事件(神奈川・生麦で薩摩藩の行列に割り込んだ外国人を藩士が殺傷した事件。日英の国際問題に発展、翌年には薩英戦争も起きた)がありました。まさに幕末動乱の時代。日本の近代競馬は、日本国内ではありながら、日本人からは遠く離れたところで始まったと言えるでしょう。

 ちなみに、ペリー来航の翌年と翌々年には、東海、南海、江戸の大地震やそれに伴う大津波が相次いで発生、関東以西の各地に甚大な被害をもたらしました。東海、南海の大地震が起きたのは嘉永7年末(1854年12月23日と24日。つまり2日続きで発生!)でしたが、これを期に元号が安政と改められたほどの大災害だったそうです。

 不安定な内政、厳しくなる様々な“外圧”、そしてほぼ一定の周期で襲ってくる大地震。いろいろ調べてみると、日本の近代競馬がスタートした150年前と今とが、何となくダブっているように思えてきました。

 同時に、今年は辰年だから昇竜、とまではいかなくても、どうか穏やかな年であってほしい、そう願わずにはいられません。

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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