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大きな花を咲かせた近代競馬の種

  • 2012年01月14日(土) 12時00分
 今年は日本近代競馬150周年のメモリアルイヤー。先週の当コラムでは、150年前頃の日本ではどんなことが起きていたかを確かめてみました。つまり、日本史の勉強でしたね。

 今週はその続きとして、世界史の勉強をしましょう。ヨーロッパの近代競馬が、どのようにしてシンガポール、香港、日本、オーストラリア、ニュージーランドに広まっていったか、調べてみました。

【シンガポール】 
1824年 英蘭協約調印。イギリスの植民地支配開始。
1843年 前年に設立されたシンガポールスポーティングクラブが競馬を開催。

【香港】
1843年 アヘン戦争後の南京条約締結により清朝から香港島を割譲されたイギリスが植民地統治開始。
1846年 香港競馬会がハッピーヴァレーで競馬を開催。

【日本】
1853年 ペリー来航。
1858〜59年 日米、日英などの修好通商条約締結
1862年 横浜レース倶楽部発足。横浜外国人居留地内で競馬を開催。

【オーストラリア】
1788年 イギリスから最初の船団が到着。(流刑)植民地建設を始める。
1810年 シドニーで最初の競馬開催。

【ニュージーランド】
1840年 イギリスと原住民マオリ族との間でワイタンギ条約締結。イギリスの植民地支配開始。
1841年 オークランドで最初の競馬開催。

一目瞭然なのは、日本以外の各国がイギリスの植民地となったのをきっかけにして競馬を始めていること。西から東へ、という歴史の流れもおわかりいただけますよね。

 一方、日本は、東からやってきたアメリカ人によって“国の扉”をこじ開けられます。しかし、欧米各国の国内情勢などが微妙に影響したおかげで、奇跡的にどの国の植民地にもならずにすみました。

 それでも競馬は、西から持ち込まれました。あちこちの植民地で競馬を楽しむことが大好きだったイギリス人は、日本でも同じことをしたわけです。

 日本開国の端緒を開いたアメリカ人も、そこにいくらか絡んでいたはずです。ただし、アメリカでケンタッキーダービーが始まったのは1875年のこと。日本に近代競馬が持ち込まれた当時、アメリカ競馬はまだ揺籃期にあったと思われます。歴史の流れからすれば、日本近代競馬の基礎はイギリス人主体で築かれた、と考えるのが自然でしょう。

 それにしても、200〜150年ほど前に南太平洋やアジアの各地でイギリス人がまいた近代競馬の種は、ずいぶん大きな花を咲かせたものですね。

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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