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第40回日本ダービーにまつわる「へぇ〜」

  • 2013年06月01日(土) 12時00分
 何もよりによってダービーで“傾向と対策”と反対の結果が出なくてもいいと思うんですけど…。多くのみなさんにご注目いただきながら、そうなってしまったことは誠に遺憾。申し訳ありません!

 それはさておき、今年は80回目の節目のダービーということで、いつもの年以上にその歴史を再認識できたような気がします。

 例えば40年前、1973年に行われた第40回日本ダービー。そう、ハイセイコーが3着に敗れたあのダービーです。これにはたくさんの「へぇ〜」がありました。

 28頭立てのところ、カミノテシオが取り消して27頭によって争われたレース。序盤200〜800メートルの200メートルごとのラップがいずれも11秒台、1000メートルの通過は59秒6という、超ハイペースの流れになります。

 このペースを作ったのがホワイトフォンテン。後に「白い逃亡者」というニックネームが付けられたほどの個性的な逃げ馬で、その手綱は柴田政人騎手が握っていました。何が何でも行くという姿勢を見せて、果敢にハナを奪います。でも、ホワイトフォンテンと言えば高橋司騎手のイメージが強かったので、これは第1の「へぇ〜」でした。

 第2の「へぇ〜」はその続きです。同馬のすぐ後ろにつけ、淀みない流れを演出したのが、岡部幸雄騎手が乗るスピードリッチ。さらに、この先行2頭の勢いがなくなると、伊藤正徳騎手騎乗のニューサントがレースを引っ張って第4コーナーを迎えます。

 そこでハイセイコーが一気に追い上げ、2番手に浮上してくるのですが、同時に、まるで併せ馬のように“ハイセイコーぴったりマーク”で伸びてくる馬がいました。ウメノウオーです。これに騎乗していたのが福永洋一騎手でした。

 もうおわかりですよね? 名前を挙げた4人の騎手は、“花の15期生”(馬事公苑騎手養成所1964年入所)と呼ばれ、一時代を築いた名手たち。ハイセイコーが主役だったあのダービーの中で、見事に存在感を示していたということです。これが2つ目の「へぇ〜」。

 そしてもう1つ。当日、東京競馬場に詰めかけた観客は13万人を超えました。日本中を熱狂させたハイセイコーブームが頂点に達した日と言えます。ところが同じ日、大井や足利でも競馬が開催されていました。さぞかし中央に客足を奪われ、閑散としていたんだろうなと思いきや、なんと大井には2万7000人、足利には1万1000人を上回るファンが来場していたんです。売上げは大井で5億8000万円余り、足利で1億7000万円余り。日本ダービーの馬券を売っていたわけではないのにこの数字です。根強い地方ファンも大勢いたんですね。これが第3の「へぇ〜」でした。

 ハイセイコーとタケホープばかりがクローズアップされてきたあのダービー。埋もれさせておくのはもったいないような“裏話”がまだまだたくさんありそうですね。

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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