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『体の続く限り乗せてくれる限り、騎手は辞めない』熊沢重文騎手

  • 2013年09月10日(火) 18時00分
 いや〜、深夜までTVに釘づけで「東京オリンピック・パラリンピック 2020年に開催決定」の瞬間を見ていましたよ。2回も開催されるなんて凄いですよね。

 余談ですが母が、1964年開催の東京オリンピックの時に「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチームがソビエトと対戦し、3−0で下して金メダルに輝いた話を、自慢げにしていました。僕も2020年開催のパラリンピックに、障害者馬場馬術で挑戦したいな〜なんて思ってしまいました。よっし! 目指せ東京2020です!

 秋競馬が始まりましたね。今週末の15日には、凱旋門賞にチャレンジするオルフェーヴルとキズナの前哨戦があります。武豊騎手が「週末のレースが終わればすぐにフランスへ行き、調教に乗ってから挑戦します」と話されていました。もうすぐそこですよね。ワクワクドキドキ・・・寝不足続きの秋競馬になりそうです。

 さて、障害騎手シリーズ、今週は現役28年目の熊沢重文騎手です。

現役28年目の熊沢重文騎手

現役28年目の熊沢重文騎手


常石:熊沢騎手が騎手になられたきっかけに、面白いエピソードがあったそうですね。

熊沢:面白というか、たまたま父が入院したその同じ部屋に南井(克巳)調教師のお父さんも入院されていたんですね。僕が騎手になるきっかけを作ってくれた南井先生のお父さんとの出会い、これがご縁でしょうね。それに愛知県の刈谷市は「万燈祭り」に馬が使われていて、それでも興味を持ったかな? もう古い話なので忘れてしまったな(笑)。でも賑やかでとってもいい祭りでしたよ。

常石:そのお祭りの時に馬に乗っておられる方って、どんな方なんですか?

熊沢:趣味で乗ってる方ばかりですが、皆さん上手いですよ。自然体で乗っています。僕も馬に無理をさせずに、いつも自然体で乗りたいと思っています。大事なことなんですよね。

常石:デビュー3年目にコスモドリームで優駿牝馬を制覇し、減量騎手でオークス制覇は史上3人目という大記録を達成。その後1991年にダイユウサクで有馬記念レコードで勝利、GI2勝目をあげられましたが、どちらも人気が無かったんですよね。

熊沢:そうそう。どっちも二桁人気だったかな? だから気楽に乗れたんでしょうね。

常石:これが熊沢さんの言う「自然体」の騎乗スタイルなんですね。スタイルといえば、鐙がかなり短く乗っておられますよね。あんなに短くてバランスが取れるんですか?

熊沢:平地も障害レースも同じ感覚で乗っているので特に区別はしていないです。僕は小さいですから、あれくらいでちょうどいいんですよ(笑)。

「平地も障害も同じ感覚で乗っている」

「平地も障害も同じ感覚で乗っている」


常石:いや、それだけ足腰がしっかりしてバネがきいているってことですね。通称、名前の一文字をとって“熊(クマ)”って呼ばれているじゃないですか。でも、ある意味その通りだな」なんて思うんですよ。騎乗スタイルとか馬への執念というか大事にされているものが、一度狙った獲物は逃がさないって感じがするんです。人とのご縁もずっと続き、大事にされていますよね。

熊沢:おいおい! 俺って名前だけではなく、実は熊だったとか(爆笑)? でもある意味そうかもな。ダイユウサクなんか、平田(修)先生が助手の時に手掛けていた馬で勝たせていただいたんですね。あれ以来ずっとお世話になっています。

また、コスモドリームをきっかけに松田博資厩舎の障害馬にもずっと乗せていただいています。自分ひとりでは何もできないし、人とのつながりや馬との出会いは大切だと思うし、そう思うと楽しいですよね。負けの数だけ、勝った数だけ出会っているんですよね。どんどん増えていますね。

常石:わーぁ、うらやましいですね。それって凄い数ですよね。それがみんな競馬に活かされているんですか? 僕なんかどんどん減っているような気がします(苦笑)。

熊沢:そう思うことで減ってしまうんじゃないかな? みんなつながっているんですよ。だから馬に乗せていただき、レースにいける。これが嬉しいですね。

常石:熊沢さんって、性格もクマっぽいかなと思っていましたがシャイなんですね。だから、繊細な乗り方でレースができるんですね。ジャンプレースで重賞もたくさん勝たれていますが、マーベラスカイザーでGI中山大障害を制覇された時は、どんな思いでしたか?

熊沢:なかなか勝てなかったからやっぱり嬉しかったな。なんか、ぞくぞくしたな。「大障害を勝ったら騎手を辞めてもいい」と思っていたけど、このドクドク感は癖になりそうで辞められない。やっぱり障害レースはいいな。僕にあっているんですよ。体の続く限り、馬に乗せてくれるという方がいる限り、騎手は辞められませんね。馬じゃなく自分の体に鞭打って気合を入れていますよ。

マーベラスカイザーで中山大障害を勝利

マーベラスカイザーで中山大障害を勝利


常石:確か同期が横山典弘騎手でしたよね。ノリさんとはよく話されるんですか?

熊沢:あまり会わないので話す機会は少ないけど、お互い良い刺激を受けています。ライバルというより刺激し合っています。「ノリも頑張ってるな。じゃあ俺もめげずにやらないと」なんて。

俺には、乗ることしかできないからね。松永幹夫先生も同期なんだけど、2人とも凄いジョッキーでしょう。平地の騎手は、凄いジョッキーばかりでしょう。僕はそんなセンスの良い乗り役ではないので、どんなレースでも乗っていかないとおいていかれますからね。

常石:障害馬を自分で作っていく中で、こだわっていることはどんなところですか?

熊沢:レースはレースですから。障害だからといって特に無いけど、平地だと助手が馬を作ってくれているので調教も少ししか乗れなかったり、レースに乗るだけのときもあるが、障害馬は1頭1頭に時間をかけてコミュニケーションを取りながらじっくり教えていく。馬の癖や特徴を見極めながら教えていくことで、自分の癖なども分かり、共に育っていくように思う。無理させないで得意な部分をを見つけていく。

いろんなやり方はあると思うが、馬のトレーニングが第一で、障害を上手くクリアしていかないといけないので、コミュニケーションをしっかりとって上手く誘導する。長い時間馬を御するから迷い無く乗る。やっぱり馬に乗るのが好きなので、長く乗っていられるのが嬉しいのかな? 子供こどもみたいですね(苦笑)。

障害レースは、調教でもレースでも、スタートしてから長い時間をかけて乗っているから、周りの状況が見えてくるんですよね。僕自身の体力もついてくるし、馬がどんな動きをしても対応ができる柔軟性が着いてくると思う。だからレースには出なくても障害練習した方がいいなと思うんですよね。

ベテランの熊沢騎手と競馬談義

ベテランの熊沢騎手と競馬談義


常石:貴重なお話、ありがとうございました。最後にファンにメッセージをお願いします。

熊沢:僕にはこれしかないので、ずっと乗り続けます。やっとこさの思いで、中山大障害を勝つことができましたが、馬と人の思いが伝わるのが障害レースだと思う。何が起こるかわからない展開に興味がわき、集中でき、面白みも味わえると思うので、じっくり見て応援してください。応援が馬にも伝わるんですよ。

常石:ありがとうございました。(インタビュー終了)

 熊沢さんの謙虚さがとっても感じました。ちょっぴりクマっぽっく恐い系かなと思っていましたが(笑)、ガッツ系でした。大変失礼しました。障害レースをもっともっと盛り上げていってください。楽しみにしています。常石勝義ことつねかつでした。[取材:常石勝義/栗東]

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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