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JRA初の外国人騎手

  • 2015年02月07日(土) 12時00分


「うぃーっス」

 まだ宵の口だというのに、ノレンをかき分けて入ってきたディレクターのレイは、顔を赤くしている。

「おー、さぶさぶ」

 顔が赤いのはアルコールじゃなく寒さのせいだとでも言いたげに、しつこいぐらい「さぶさぶ」と繰り返し、ドカッと腰掛ける。

「忙しそうだな」

 ビールを注いでやりながら私が言うと、

「今栗東から戻ったところっス」

 ゲップをしながら答えた。新幹線のなかでも相当呑んできたのだろう。

「ルメールの合格会見の撮影か」

「はい、嬉しそうでした」

 ここは東京都港区新橋3丁目。私と付き合いのある、競馬番組制作スタッフ行きつけの居酒屋である。

 彼らのことを書くのは久しぶりなので断っておくと、レイは「学問を奨励する」の「励」。そう、男なのである。

 演出の腕とナレーション原稿は抜群なのだが、時間にルーズで、また、ときどきびっくりするような忘れ物をする。プロデューサーのソブさんからは「彼を面と向かって褒めないようにしてください。すぐ調子に乗りますから」と念を押されており、私はそれを守っている。なので、レイはおそらく、私に評価されていることを知らない。が、どう見られようが気にする性格ではないので、きっと一度も褒めることのないまま、一緒にジジイになっていくのだろう。

「資料をもらってびっくりしたんスけど、ルメールとデムーロ、JRAで初めて通年免許を取った外国人騎手、ってわけじゃないんですね」

「うん、3人目。いや、3、4人目ということになるのかな」

「えー、なんでー!?」

 とまり木の端に腰掛けていたキャスターのユリちゃんが声を上げた。

「ずいぶん前だけど、アイアノッティとベネジアっていうふたりの騎手がいてね――」

 ロバート・アイアノッティは1933年1月14日生まれのアメリカ人だ。進駐軍を除隊して、55年3月1日付でJRA(CIでこの略称が用いられるのは87年からだが、以下も「JRA」と記す)の騎手免許を取得した。モンキー乗りを披露したと語り継がれている彼は、3月5日に東京で初騎乗初勝利をマークしている。が、勝ったのはそれだけ。通算22戦1勝で、その年のうちに帰国している。帰国後の消息などはわからないが、健在なら82歳だ。

 ミカエル・ベネジアは1945年5月5日生まれで、アイアノッティと同じアメリカ人。64年に母国で騎手になり、74年1月1日付でJRAの騎手免許を取得し、1月13日に東京で日本初勝利を挙げた。25戦2勝という成績を残し、その年の2月5日に帰国している。

 ……といったことを私が説明していると、スマホを手にしたユリちゃんが「あれ?」と首を傾げた。

「ミカエル・ベネジアって人、ウィキとかに出てないよ」

「ネットでは、マイク・ベネツィアって表記になっているんじゃないかな」

「マイク・ベネツィア、あった。え……」

 と表情を凍りつかせたユリちゃんの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

「どうしたんだよ」

 とユリちゃんのスマホを受けとったレイが、口に持って行きかけたグラスを止めた。そして、ウィキペディアの「マイク・ベネツィア」のページを読み上げた。

「1988年10月13日、ベルモント競馬場の第5競走で騎乗馬が故障して落馬した際、後続の馬に頭を蹴られて即死……」

 享年43歳。その年限りでの騎手引退を考えていたという。ニューヨーク地区の騎手の中心的存在だったようだ。

 2010年に亡くなった、日刊競馬のトラックマン、栗原正光氏のメールマガジン「地方競馬ファン」の「競馬の“伝説・噂”を検証してみよう」というコーナーに、次のような記述があった。

「<来場したのに>デモンストレーション騎乗だけで大井競馬場を後にした外人騎手がいた。
事実です。中央競馬で騎乗していたM・ベネジア騎手が東京都騎手会の要請で昭和49年2月4日大井競馬の8Rと9Rの間に35000人のファンの前で単走で本場のモンキー乗りを披露した。しかし、当時の地方競馬ファンのおじさんたちには不評でした」

「メルボルン二世」というペンネームを使っていた栗原氏による、この情報と、私の手元の資料にあるベネジア騎手のプロフィールを照合すると、ベネジア騎手は、大井でデモ騎乗を披露した翌日、アメリカに帰国したことがわかる。成田国際空港が開港する4年前のことだから、羽田から飛んだのだろう。

 泣き上戸だが、そのぶん泣きやむのも早いユリちゃんがまだ泣いている。

「ステイゴールドが死んじゃった」

 さすがに私も驚いた。

「21歳か。残念だけど、もうそんな年になっていたんだな」

 産駒のオルフェーヴルやゴールドシップが活躍して評価が急上昇したのがここ数年だったせいか、もっと若いイメージがあった。

「2月、3月って、人も馬も大きく動く時期なんスね」

 とレイはタコのわさびおろし和えを口に放り込んだ。

「うわー、辛っ」

 と目尻に指をやる。本当に辛くて涙が出たのか、ユリちゃんにもらい泣きしたのかはわからなかった。

 砂肝ガーリックの香ばしい匂いがする。頼んだのは、馬券を買わずにレースを見て能書きをタレてばかりいる「ケンのサトさん」らしい。

「なあシマちゃん。さっきアイアンマンレースがどうのって言ってただろう。いや、おれさ……」

 アイアノッティの聞き違いだろう。サトさんは確かめもせず、見当外れのことをしゃべりつづけている。

 大雪という予報が外れ、細かな雨が落ちているだけだ。泊まりになることを覚悟していたのだが、これなら電車も通常通り運行するだろう。

 終電まで、彼らにウーロン茶で付き合うことにした。

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作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊競馬ブック、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。netkeiba.com初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ダービーパラドックス』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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