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ネーハイシーザーが呼び起こした記憶

  • 2018年03月01日(木) 12時00分


 また一頭の名馬が天に召された。

 快速を武器に1994年の天皇賞・秋などを制したネーハイシーザー(父サクラトウコウ、浦河・大道牧場生産)が、2月26日、余生を過ごしていた新ひだか町の荒木牧場で死亡した。28歳だった。

 キャリア23戦のうち、逃げたレースは数戦で、しかも逃げ切ったレースはひとつもなかった。にもかかわらず、とにかく「速い」と感じさせる走りをした。

 ベガやマーベラスクラウンなどを負かした94年の大阪杯も、レコードを叩き出した同年の京阪杯も毎日王冠も、流れに乗って楽に先行し、シュッと抜け出した。

 最初にして最後のGI勝ちとなった天皇賞・秋もそうだった。

 ただ、この一戦は「ネーハイシーザーが勝ったレース」であったと同時に、「ビワハヤヒデが敗れたレース」として、強いインパクトを残したレースでもあった。

 ビワハヤヒデはネーハイシーザーと同世代で、このとき旧5歳。前年、皐月賞2着、ダービー2着、菊花賞1着、有馬記念では1年ぶりの実戦で「奇跡の復活」を遂げたトウカイテイオーの2着。安定した強さはあっても、爆発力に欠ける印象があった。ところが、この94年は京都記念、天皇賞・春、宝塚記念、オールカマーと4戦し、すべて単勝1倍台の支持に応えて完勝。当時はなかった表現だが、「絶対王者」への道を歩みながら臨んだのが、この天皇賞・秋であった。

 単勝1.5倍の圧倒的1番人気。単勝5.0倍の2番人気は前走のオールカマーから武豊騎手を背に迎えた、ビワと同期のダービー馬ウイニングチケット。単勝8.6倍の3番人気がネーハイシーザーだった。

 ビワハヤヒデは、4コーナーまでは、前を行くネーハイシーザーらをいつでもかわせそうな手応えに見えたが、直線で伸びず、5着に敗れた。ウイニングチケットも8着に沈んだ。

 それまで15戦10勝2着5回とパーフェクトな戦績をおさめてきたビワハヤヒデは、手綱をとった岡部幸雄騎手(当時)が入線後下馬していたことから、故障が心配された。ウイニングチケットも、何かアクシデントがあったのでは、と見られていた。

 陽が沈んでもなお、東京競馬場の調整ルーム前から馬道に降りるあたりのスペースには、多くの報道陣と関係者が残っていた。そのなかに、この年競馬学校の騎手課程に入学した武幸四郎・現調教師の姿があった。兄が騎乗したウイニングチケットばかりでなく、ビワハヤヒデの様子も気になるらしかった。彼の生家や、競馬場で何度も顔を合わせていた私は、どんな言葉をかけたらいいのかわからず、さんざん考えたすえ、こう言った。

「ネーハイシーザー、速かったね」

「はい」と、彼は、心配そうな表情のまま答えた。

 このとき15歳だった彼が、今週末には調教師として管理馬を出走させるのかと思うと、なんだか不思議な感じがする。24年も経ったのだから、いろいろなことが変わって当然なのだが、彼の兄は騎手をつづけており、それも今なおキャリアのピークにあると言える活躍ぶりだ。かく言う私も、こうして競馬に関することをあれこれ書きつづけているのだから、やはり、想像できなかった未来にいるという意味で、不思議な感じと言いたい。

 テレビのインタビューに応えていた、ネーハイシーザーの主戦、塩村克己騎手(当時)の表情も印象的だった。武騎手や蛯名正義騎手らと同じ競馬学校騎手課程3期生。前年、所属していた小林稔厩舎を離れてフリーになり、乗り鞍が減っていたとき、布施正調教師(当時)からネーハイシーザーの騎乗を依頼され、こうして結果を出すことができた。これが初めてのGI勝ちだった。嬉しくないはずはないのだが、ライバルたちの様子を気づかい、静かに、淡々と話していた。

 この年、デビュー以来最高の41勝を挙げた彼に刺激され、フリーになって新境地をひらこうとする騎手たちが現れるなど、新たな流れをつくることにもなった。

 ビワハヤヒデとウイニングチケットは、どちらもレース中に屈腱炎を発症していたようで、この一戦を最後に現役を退いた。

 ネーハイシーザーは、次走の有馬記念で2番人気に支持されたが、9着。勝ったのは、ビワハヤヒデの半弟で、同年のクラシック三冠を圧勝したナリタブライアンだった。ネーハイは2年後、96年の京阪杯で3着になったのを最後に引退。結局、この天皇賞・秋が最後の勝利となった。

 ネーハイシーザーが思い出を呼び起こしてくれたビワハヤヒデ、ナリタブライアン兄弟の母は名牝パシフィカス。半妹にキャットクイルがいる。そう、ファレノプシス、サンデーブレイク、キズナなどの母である。

 四半世紀近く前のGIが、こんなふうに「今」につながっているのだから、面白い。

 さあ、ネーハイシーザーの記憶を胸に、新年度の競馬を楽しもう。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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