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プリサイスエンドの娘、GSチョッパー(2)愛馬の変化に改めて感じた、人と馬との関係の繊細さ

  • 2020年12月01日(火) 18時00分
第二のストーリー

表情豊かなGSチョッパー(提供:Yさん)


チョッパーのパートナーは、自分なのだから…!


 Yさんは仕事が休みのたびに乗馬クラブに通い、プリサイスエンドを父に持つ愛馬ジーエスチョッパーとともに練習に精を出した。落馬も数えきれないほどあった。

「今思えばまだまだ初心者に近かった私が、若馬に騎乗するのは大変でした。チョッパーに問題はないのですが、私があの子の飛越について行けず、バランスを取るのに苦労しました」

 だが「前進気勢が強くて障害にはどんどん向かっていく子でした」というYさんの言葉通り、チョッパーには飛越のセンスがあり、Yさんとともに競技会へも出場するようになった。

「初めての競技会はチョッパーに出会ってから2年目の初冬だったと思います。障害の高さが60cmのクラスでした。飛ぶというより、跨いでいましたね(笑)。無我夢中であっという間に終わりました。(障害物の)落下はなかったのですが(障害物を落とすと減点4)、残念ながら最終障害で止まってしまいました。(※障害の前で止まると反抗あるいは不従順で減点4。2回目で失権)

 成績は4位でしたが、別のクラブの方が彼女は良い競技馬になるよと仰ってくださり、嬉しかったことをよく覚えています」

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初めての競技会で4位になった時のリボン(提供:Yさん)


 最初の競技会に出場するまでは怪我はなかったが、その後、腱鞘炎をはじめ指や肋骨の骨折、別の馬でレッスンをした時に足首を骨折している。これだけ骨折していれば心身ともに相当ダメージを受けそうな気もするが、Yさんは「そんな程度です」と軽く答えた。このくらいの怪我で怖気づいているようでは、馬とともに障害飛越などできないのかもしれない。

 北関東のクラブに5年ほど在籍した頃、チョッパーを担当していたインストラクターが他クラブへと移動してしまった。それを機にYさんとチョッパーも、別の北関東のクラブに移籍した。

「この辺りからチョッパーは自分のパートナーなのだから人任せではなく、自らが動かないとダメだと、私の中で気持ちに変化が出てきました」

 チョッパーと自分のために、いくつものクラブを訪問して熟考した結果、南関東の乗馬クラブへのさらなる移籍を決めた。そこでチョッパーの障害飛越の才能を引き出してくれたインストラクターと出会った。

「そのインストラクターは、彼女のお転婆で前進気勢が強いその個性を潰してはいけないよと言ってくださいました。それを聞いてハッと気づかされました。チョッパーはそのインストラクターを背に飛越するのが、とても楽しそうでした」

 持てる才能が開花して競技会で良績を収めたチョッパーは、障害飛越競技馬として大きく飛躍した。

「騎乗したのは私ではないですが、4スター(大会ごとに競技レベルを「スター」で表しており、下から1スター、2スター、3スター、最もレベルが高いのが4スターとなっている)の競技に臨むまでになりました」

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競技会にて、YさんとGSチョッパー(提供:Yさん)


 だがチョッパーを最も理解してくれていたインストラクターも他クラブへと移動してしまう。これはチョッパーにとって大きな痛手となった。

「別のインストラクターが代ってくださったのですが、彼女は気難しい馬で、例えば馬房から出る時に少し抵抗するなど、様子がおかしいことに気付いたのです。多分、私にしかわからない変化だったと思います。当たりの強い乗り方は合っていなくて、彼女に自由を残してあげるような騎乗でないとカリカリして暴走気味になってしまいます。私もその頃に2度、チョッパーが襲歩(競馬などで馬が疾走している時に見られる歩法)になり、落馬しました」

 何か所も訪ねて決めた乗馬クラブだったが、インストラクターが1人いなくなるだけで、馬は大きく変わってしまう。それほど人と馬との関係は繊細なものなのだ。これは競馬でも乗馬でも同じことが言えると思う。チョッパーにとって1つ救いだったのは、Yさんという彼女を心から愛し、大切に思うオーナーがいたことだ。

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“人と馬との関係は繊細なもの”(提供:Yさん)


 調子をすっかり崩したチョッパーを、Yさんは南関東の別のクラブへと移籍させた。だがそこでは駈歩が出来なくなり、初めて蕁麻疹があらわれた。

「血液検査を行い、(蕁麻疹の原因物を取り除くため)口にするものは洗ってから与えました。馬房の清掃をしっかりやって、漢方も飲ませるなど、獣医師と相談しながらありとあらゆることを試しました」

 それでも蕁麻疹はなかなか良くならなかった。その上、蟻洞も発覚している。

「装蹄師さんの勧めで脚のレントゲンを撮影した時に、左前脚に蟻洞が見つかったのです。ショックが大きくて愕然としました。障害飛越はNGで、しばらくフラットワークのみの日が続きました。2、3か月ごとのレントゲン撮影でもなかなか治らず、この治療方針では完治しないのではないかと方々探して、やっとある獣医師を見つけました。その先生に診ていただいてからのレントゲン撮影では、蟻洞ではなかったということがわかりました」

 チョッパーの左前脚には確かに蟻洞はあった。だがそれはごく軽症のもので、最初のレントゲン撮影で指摘された箇所は、蟻洞ではなかったことが判明した。

「馬を治すには獣医師だけではなく、オーナー、(クラブのその馬の)担当者、装蹄師などがチームにいなければいけませんと、その先生は仰いました。それまで出会ったことのない蕁麻疹と蟻洞もどきに悩まされたYさんは、軽症の蟻洞がきれいに完治するだろう夏頃には環境の良い乗馬クラブにチョッパーとともに移ろうと考え始めていた。その矢先、Yさんに1本の電話がかかってきた。

「クラブの担当者からでした。彼女に何かあったことは、すぐにわかりました」

 Yさんの誕生日の5月16日朝、チョッパーは疝痛を発症していたのだった。
(つづく)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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