
▲“日本型馬主システム”の未来と課題を解説!(撮影:下野雄規)
今夏は中央競馬の名物オーナーの訃報が相次いだ。8月29日には「メイショウ」の冠馬名で知られる松本好雄氏が87歳で死去した。死のわずか6日前の8月23日、中京の3レースでメイショウハッケイが勝ち、個人馬主として史上初の中央通算2000勝を達成した。
本サイトのデータベースを見ると、松本氏の初出走は1975年2月の京都で、馬主生活は実に半世紀を超える。私事で恐縮だが、筆者は76年から競馬を本格的にフォローし始めていて、77年3月に4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)で2着に入り、桜花賞に駒を進めた逃げ馬メイショウローレル(19着)の記憶がある。なかなか大レースとは縁が薄かったが、グレード制施行直前の83年に今は姿を消した父内国産馬限定重賞のカブトヤマ記念をメイショウキングで優勝。グレード制移行後の重賞初勝利は88年京都大賞典のメイショウエイカン。95年までに6勝をあげたが、メイショウドトウが中京記念で7勝目をあげるまで5年以上を要した。松本氏にとって馬主生活の転換の契機となった同馬は、00年の宝塚記念で同年齢のテイエムオペラオーと初対戦して2着に敗れると、ここからGIで実に5戦連続で同馬に屈し2着。01年6月の宝塚記念で宿敵を破りGI初勝利を飾った。

▲松本好雄オーナー(撮影:下野雄規)
06年にはメイショウサムソンで皐月賞、日本ダービーの二冠を制し、同馬は翌年に天皇賞春秋連覇を達成。13年にはメイショウマンボがオークス、秋華賞、エリザベス女王杯と年間GI・3勝をあげるなど、馬主生活の後半に活躍馬が多かった印象がある。生前最後の重賞制覇は6月の宝塚記念だった。武豊を背に逃げて圧勝したメイショウタバルで、管理する石橋守調教師が騎手時代、メイショウサムソンの主戦だった点でも注目を集めた。
20年に中央で年間1056出走
個人的に信じがたい記録と思うのは、20年の年間出走1056回である。1年を52週とすれば、毎週20頭が出走していた計算になる。
同年の出走実頭数は231頭で、仮に各馬がトレセンに平均半年在厩したとすれば、合計で