重賞ウイナーからファンに愛されたあの馬まで、競馬から退いた後の知られざるエピソードをご紹介。
佐々木祥恵
ガッシュと晴菜さんのコンビはいつまでも徳島空港に降り立つと、周囲は雨で煙っていた。この4月に取材でお世話になったミヤマリージェントを繋養している角山喜信さんが、淡路島からわざわざ徳...
大怪我を克服し、再び人を乗せられるようになった馬たち大怪我を乗り越え、今では現役競走馬の調教パートナーを務めたり、大人しくて安心して人を乗せられる馬として活躍している、忍者ホースク...
川島信二騎手がつないだ縁忍者ホースクラブの敷地に一歩足を踏み入れると、愛嬌たっぷりの犬たちが尻尾をパタパタと振り、子犬たちが飛ぶように軽やかに駈けてくる。しなやかな動きですり寄って...
最初に骨折も発見されていたら、今はなかったかもしれない10月3日、滋賀県東近江市にある忍者ホースクラブを訪ねた。忍者訪問は実は2度目。1度目は今年1月19日、大雪が降って馬場が真っ...
不遇な時代を経て、心穏やかに過ごした晩年ダービーを勝ったわずか17日後に、破傷風が原因で急逝したトキノミノル。作家の吉屋信子氏が「ダービーを勝つために生まれてきた幻の馬だ」と読売新...
流浪の民となったアイドルホース9月半ば、読者の方のリクエストにお応えして、あの馬に会うために千葉県御宿町のマーサファームを訪ねた。御宿町は、房総半島の太平洋側に面したいわゆる外房の...
※引退馬の現状と未来(2)「渡辺牧場の苦悩と決断」のつづき命拾いをしたセイントネイチャー渡辺はるみさんのご主人で牧場長・一馬さんの祖父様が軍馬の生産を始めたのが1931(昭和6)年...
※引退馬の現状と未来(1)「引退馬協会の取り組み」を無料公開中『馬の瞳を見つめて』北海道・浦河町絵笛にある渡辺牧場を訪ねたのは9月上旬だった。笑顔で出迎えてくれた渡辺はるみさんは、...
引退馬の里親制度を作りたい現在サラブレッドの生産頭数は、年間約7000頭と言われている。競走馬を引退した後は、一部が種牡馬や繁殖牝馬となり、その他は乗馬という名目で競走馬登録を抹消...
優しくて馬望の厚い“ナカちゃん”車は八戸方面から十和田市にある十和田馬術協会へと向かっていた。十和田とは、アイヌ語のトー(湖)とワタラ(岩、崖)が語源らしい。青森、岩手、秋田など東...
アテ馬の仕事を上手にこなすクワイエットデイ車は八戸市からさほど遠くない三戸郡階上町にあるワールドファームに向かっていた。車窓から見上げた空は、雲が広がりどんよりとしていた。どうか取...
2013年種牡馬引退、山内牧場で過ごすレギュラーメンバー馬産地として歩み出したのが平安初期と言われるほど、青森県の馬産の歴史は古い。その昔、この地方で生産された馬たちは、農耕や運搬...
※次ページでエリモシックのフォトギャラリーを無料公開中女傑・エアグルーヴと同期名馬たちの訃報が続く中、一頭の名牝が天国へと旅立っていった。エリザベス女王杯に優勝したエリモシックだ。...
エリモシックが余生を過ごした本桐牧場さんご提供の、貴重な写真を特別公開します。
◆臆病な性格はずっと変わらず今年に入って、かつて競馬ファンを魅了した名馬たちの訃報が相次いでいる。1990年代に活躍したアメリカ生まれの名スプリンター、エイシンワシントン(享年23...
(先週のつづき)◆ヤンチャなパルサー、脱走して見つかった場所は…コバン牧場.eの江見洋一さんが最初に引き取ったサラブレッド、それが宝塚記念を勝ったスズカコバンだった。種牡馬を引退し...
◆父譲りの美形、トウカイパルサーラベンダー畑は紫に染まり、色とりどりの花が咲き乱れている。白い雲と青い空。北の大地に輝きが増す7月半ば、2002年の愛知杯(GIII)の勝ち馬・トウ...
◆谷中公一調教助手との再会競走馬が競走馬ではなくなる時、「乗馬」という名目で登録を抹消されても、その後の馬生は決して保障されないという厳しい現実がある。それでも、自分が応援したあの...
◆テレビの競馬中継をきかっけに埼玉県日高市の「つばさ乗馬苑」に、競走馬としては無名だった1頭の黒鹿毛が余生を過ごしている。オーナーから美味しい人参をもらって顔をほころばせ、時折、人...
◆運命を決めた牧場スタッフの一言馬の運命は、人間のさじ加減ひとつで決まる…馬の近くに長らく身を置いて仕事をしていると、そう思わずにはいられない場面にしばしば遭遇する。5月21日に亡...
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