▲斎藤修さんの推薦は『草競馬流浪記』
netkeibaの人気コラムニストたちが、競馬ビギナーさんに「ぜひ読んでもらいたい!」という競馬書籍を紹介するこの企画。3人目の登場は「地方競馬に吠える!」「交流重賞展望」でお馴染みの斎藤修さんです。
元祖、旅打ち本
“旅打ち”という言葉が競馬ファン(他の公営競技も含めて)の間で定着したのは、ここ10年か15年ほどのことだろうか。
ネットで情報が提供されるようになる以前の地方競馬は、スポーツ紙などで出走馬一覧と結果が確認できる程度で、地元以外の地方競馬ではどんな馬が走っていて、どんな競馬をやっているのかを知ることはなかなかに難しかった。
交通手段も今ほどには発達していなかったこともある。航空運賃なども高かった。特割などの激安運賃や、LCC(格安航空会社)などもない。ゆえに全国の競馬場を巡る、今でいうところの“旅打ち”などは、ごくごく一部のオタク(という言葉も当時はなかったが)が秘かに楽しんでいる程度だったのではないだろうか。
そんな時代に、むさぼるように読んだのが『草競馬流浪記』(山口瞳著)。初版が発行されたのは、昭和59年(1984年)3月とある。ぼくが手に入れたのは、その後、昭和62(1987)年に文庫化されてからのもの。
地方競馬全国協会が一般ファン向けに月刊『Furlong』の発行を始めた(通信販売による定期購読のみ)のは1990年のことで、当時、全国の地方競馬を網羅した書籍としてはおそらく唯一無二のもの。いわば地方競馬のバイブルでもある。すでに絶版になっているが、Amazonで検索すれば中古市場にはあるようだ。
競馬好きの作家、故・山口瞳さんが若い編集者らと一緒に、当時30カ所以上あった全国の地方競馬を巡るというもの。昭和の時代だから旅ものんびりしていた。北海道へはさすがに飛行機だが、九州へは寝台列車。地方のホテルや温泉宿に泊まって、土地土地の旨いものを食って酒を飲んでという紀行文ではあるが、競馬好きらしく馬券の取った負けたもふんだんに出てくる。競馬場周辺の簡単な地図や、入場人員、売上、リーディング上位騎手などもまとめられているから資料的な側面もある。
おもしろいのは騎手の描写だ。最初に訪れるのは笠松競馬場だが、<笠松の福永洋一と称される二十一歳の安藤勝己>が、<おぼこい><天才型の美少年><安藤には会わないことにした。惚れてしまって帰れなくなったら大変だ。>などと表現されている。
また、ノミ屋(違法な私設の馬券発売)や八百長の話などが普通に出てくるのも、いかにも昭和の時代を感じさせる。
かつて地方競馬は、蔑視的な表現としてよく「草競馬」と言われることがあったが、山口瞳さんがタイトルに草競馬を使ったのは、そうではない。冒頭には、<僕が公営競馬のことをあえて草競馬と呼ぶのは、決してこれを軽蔑しているためではない。むしろ、草競馬という言葉につきまとうところの、一種の懐かしさ、開放感によるものだと思ってもらいたい。>とある。その開放感とは、戦後に再開された戸塚競馬(川崎競馬の前身)にでかけたときに、<このときほど、平和というものを強く感じたことはなかった。>というもの。
競馬がまだ世間的には白い目で見られていた時代にあって、直木賞作家が親しみをもって地方競馬のことを一冊の本にした功績は大きなもので、地方競馬の年度表彰『NARグランプリ』の授賞式では、亡くなられる前まで、毎年のように山口瞳さんが乾杯の音頭を取っておられたのが懐かしく思い出される。
■タイトル:草競馬流浪記
■著者:山口瞳
■出版社:新潮社
■発行日:1984年3月
■価格:絶版(中古あり)
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