▲鹿戸雄一調教師の基盤となっている「藤沢師からの教え」とは (C)netkeiba.com
2022年2月末をもって惜しまれつつも定年を迎える、名伯楽・藤沢和雄調教師の「引退特集」。藤沢調教師と縁の深い競馬関係者たちに、藤沢調教師との様々なエピソードを明かしていただきます。
今回は、昨年の年度代表馬・エフフォーリアなどを管理する鹿戸雄一調教師です。2007年に調教師免許を取得し、騎手を引退。藤沢調教師のもとで技術調教師として学んだのち、2008年に厩舎を開業しました。いまの鹿戸厩舎の基盤ともなっている「藤沢調教師から教わったこと」についてお話しいただきました。
(取材・文=佐々木祥恵)
藤沢師と鹿戸師の「出会い」
「初めて出会ったのは、僕が騎手見習いになった頃だったと記憶しています」
当時藤沢は、菊池一雄厩舎で調教助手をしていた。その藤沢が1987年に調教師免許を取得し、厩舎を開業したのが1988年だった。その当初、鹿戸は調教を少しの間手伝ったことがある。藤沢が実践していた調教は、従来の厩舎が行っていた方法とは違っていた。
「1番は集団での馬なり調教ですよね。海外で勉強していたことも知っていましたし、そういうやり方があるんだなとその時は思いました」
▲2人の出会いは鹿戸師が騎手見習いになった時(C)netkeiba.com
藤沢厩舎での学び――「馬本位」という考え方
藤沢からは、時折騎乗依頼もあった。
「それもあって、手が空いている時に厩舎を手伝っていました」
鹿戸が調教師試験の勉強を始めると、藤沢から声がかかった。
「調教師を目指すならウチで勉強した方がいいと言っていただきました」
2005年には、ゼンノロブロイのイギリス遠征におよそ1か月間、帯同している。将来厩舎を構え、いずれ海外遠征もするかもしれない。それを見越して鹿戸を帯同させたようだ。
「ニューマーケットは馬中心の街でしたし、とても勉強になりましたし、良い経験をさせてもらいました」
ゼンノロブロイは、ジェフ・ラグ厩舎の馬房に滞在していた。
「その厩舎の馬と一緒に調教をして、併せ馬も行いました」
自然の地形をそのまま利用したコースは多岐にわたり、さまざまなコースでロブロイはインターナショナルSに向けて調整をされた。
「コースはとても乗りやすかったですし、いろいろな場所で乗って、刺激があって面白かったですよ」
エレクトロキューショニストの僅差の2着と結果は残念だったが、イギリスのG1レースで日本馬の能力を十分見せつける内容を残せたことは、現地での調整がうまくいった証でもあろう。馬本位の考え方をしていくということが、海外遠征でより明確となり、厩舎運営における鹿戸自身の基盤にもなっている。
▲ゼンノロブロイの遠征帯同は鹿戸師の刺激になった(撮影:下野雄規)
藤沢厩舎で仕事をしていた間、特に印象に残ったのは、朝早くからスタッフと同じように働き、夕方遅くまで馬のそばにいて声をかけている藤沢の姿だった。
「常に馬を近くで見て、馬の様子を窺っているというか観察していました。(馬を管理・調教する上での)アイデアも豊富ですしね」
鹿戸がよく覚えているのは、前向きさの足りない馬に騎乗する騎手に対してのアドバイスだった。
「ゴールしてからでも、1度でいいから先頭に立たせて馬を褒めてやれという話をしていました。先頭に立つのが気分の良いものだと教えたいというのが、その理由でした。馬の気持ちをとても大事にしていると感じました」
日頃から馬中心――今も生きる藤沢の教え
鹿戸厩舎からは、昨年の皐月賞、天皇賞・秋、有馬記念を制したエフフォーリアという大物が誕生したが、このような活躍馬を管理する上でも、藤沢からの教えは生きている。
「常に馬のそばにいるようにしています。そばというのは距離的に近いという意味もありますけど、それだけではなくいつも馬の目線で考えることを意識しています。藤沢先生も常にそのようにしていましたし、先生のように馬の痛い、痒いなど異常をすぐに見つけられるよう、日頃から馬中心に考えて調教をしていきたいですね。その積み重ねで結果がついてくると思いますので」
最後に藤沢への思いを言葉にしてもらった。
「エフフォーリアのような馬が出てきて、プレッシャーの大きさを実感しました。先生は長い間、管理馬を常に良い状態で出走させて結果を残さなければならない、そういう責任や重圧と戦ってきたわけですから、本当にお疲れさまです。それしかないですね」
(文中敬称略)