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【特別対談】藤岡佑介騎手×川田将雅騎手(3)「フランスに行っていなければジョッキーを辞めていた」──悔しさと自負に向き合い続けた佑介騎手の8年

  • 2024年02月15日(木) 18時01分
“VOICE”

▲佑介騎手ならではの競馬のスタイルとは?(撮影:稲葉訓也)


前回までは川田騎手の"8年"について振り返りましたが、今回の話題は佑介騎手の"8年"について。

2016年、『with佑』の連載が始まった頃は自身にとって「転換期だった」と語る佑介騎手。大腿骨骨折という大ケガから復帰し後にGI初制覇を遂げるなど、これまで以上の活躍を見せていました。

しかしその反面、大舞台で結果を残せない悔しさや、自分の思いを体現できないもどかしさとも向き合い続けていたそう。それらをどのように消化し受け止めてきたのか。そしてそんな佑介騎手を、川田騎手はどのように見ていたのでしょうか。

前回はこちら▼
「将雅じゃなかったら絶対に勝ってない」同業者が明かす、繊細すぎて伝わらない川田騎手の“技”とは?(第2回)

(取材・構成=不破由妃子)

「もう勉強せい」豊さんはサプリメントを持ってきてくれたのに…(笑)


──冒頭でも触れましたが、おふたりが『with佑』の第1回で対談したのが2016年。以降8年間の川田さんの戦いと変化を振り返ってきたわけですが、ここからは佑介さんの“8年”にテーマを移したいと思います。

佑介 この8年か…。

──2016年に『with佑』が始まったときって、2013年の根岸S(メイショウマシュウ)を最後に重賞勝ちが途絶えている時期だったんですよ。そういった時期を経て、2017年以降は勝ち星も増えて、それまで以上にコンスタントに重賞で活躍されるようになって。だから、8年前のあの時期は、佑介さんにとっても転換期だったのかなと思うんです。

佑介 その頃といえば、2015年にケガをしたんですよね。大腿骨を骨折するというけっこう大きなケガだったんですけど、すごく覚えているのは、心が折れる感じがまったくなかったこと。復帰できれば絶対にやれるという自信があった。たぶん、フランスに行く前(フランス遠征は2013年)に同じケガをしていたら、ジョッキーを辞めていたと思います。そういう意味では、転換期だったのかもしれませんね。

 で、初めてGIを勝ったのが2018年(NHKマイルC・ケイアイノーテック)。将雅のリーディングじゃないけど、そこに辿り着くまでに時間が掛かったぶん、周りの人たちがすごく喜んでくれている姿を見て、遠回りしてよかったなっていう気持ちになりました。

“VOICE”

▲「初GI勝利を周りの人たちが喜んでくれて、遠回りして良かったなと」(撮影:稲葉訓也)


川田 佑介はもともと馬が大好きで、馬に関わる仕事がしたくてこの世界を選んだんだよな。

佑介 うん。厩務員さんとかね。

川田 だからだと思うけど、競馬学校の頃から

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1985年10月15日、佐賀県生まれ。曾祖父、祖父、父、伯父が調教師という競馬一家。2004年にデビュー。同期は藤岡佑介、津村明秀、吉田隼人ら。2008年にキャプテントゥーレで皐月賞を勝利し、GI及びクラシック競走初制覇を飾る。2016年にマカヒキで日本ダービーを勝利し、ダービージョッキーとなると共に史上8人目のクラシック競走完全制覇を達成。

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