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BTC出身の調教師誕生

  • 2015年12月16日(水) 18時00分
青木孝文新調教師

青木孝文新調教師


腐らずに信念を曲げずにやり続けていた青木孝文新調教師

 12月10日付けで発表された今年度のJRA新規調教師3人の中に、青木孝文氏がいる。美浦からはただ1人の合格者だ。群馬県出身の34歳。平成16年にトレセンに入り、成島厩舎から伊藤正徳厩舎を経て、現在、小檜山悟厩舎に所属する調教助手である。

 その青木孝文新調教師は、浦河のBTC育成調教技術者養成研修所の出身者である。平成12年度の第17期生として1年間、ここで訓練を受け、修了後にビッグレッドファームに就職。3年余の勤務を経て、競馬学校厩務員課程に入学し、美浦トレセンに配属となった。

 そんな青木氏がこのほどBTCを訪れるというニュースを知り、どんな方なのかと強い興味を覚えたので出かけてみることにした。

 13日の日曜日夜に北海道入りした氏は、月曜日朝、まずビッグレッドファームに立ち寄り、その後、浦河まで車を飛ばしてやってきた。BTCでは急きょ、現役の研修生(33期生)を集め、臨時の講演会を開くことになった。研修生OBとしては初の中央競馬の調教師誕生であり、ぜひ、33期生たちにエールを送る意味で、青木氏に話をして頂きたいと場を設定することになったわけである。

「何を話したら良いんですかね」といくぶん戸惑いながらも、青木氏は約30分間、自らの生い立ちや競馬の世界を目指したきっかけ、BTCでの研修の思い出、トレセンに入ってからの苦労話など、ひじょうに濃い内容の話を披露した。

 青木孝文氏は、いわゆる一般家庭の生まれである。競馬に興味を持ったのは中学時代だという。「最初はゲームでした。それで次に、本物の競馬を見たくなり、競馬場で厩務員の方がパドックで馬を引いている姿を見て、競馬の世界を目指すようになったんです」とのこと。

 高校は、いわゆる進学校だったことから、「競馬の世界に行きたい」と希望する青木氏はたぶん異色の存在だったことだろう。それでも、卒業と同時に、BTC育成調教技術者養成研修の門をたたき、首尾よく入所できたことで、最初の関門を突破できた。

「ただ、自分は、はっきり言って、研修生としてはカスみたいな存在でしたね」と自虐的に語る。「乗ってもヘタだし、講義や試験の点数も決して良くない。当時いらした外国人の(乗馬)教官から『アナタ、ヘタクソネ』と毎日のように罵声を浴びせられていました」と振り返る。

 ビッグレッドファームに就職してから、本格的に厩務員を目指すことになった。「競馬学校の厩務員課程は馬術の試験があるんです。それで、育成馬には乗っていても、基本馬術ができていなかったので、当時、静内町(現・新ひだか町)にあった乗馬施設(ライディングヒルズ静内)に通い、馬術を一から学び直しました」

 そうした努力の甲斐あり、青木氏は二度目の試験で競馬学校厩務員課程に入学することができた。飄々とした語り口ながら、こうして要点を押さえ、集中的に学習する能力に長けている人なのだろう。

 トレセンで働き出してからは、最終目標にしていた調教師になるべく、本格的に勉強を開始した。

「私は、騎手上がりでもなければ、競馬関係者(例えば調教師)の子弟でもないし、まして、大学馬術部での実績なんかもない人間ですから、お前には無理だとずいぶん周囲から言われました」と語る。しかし、腐らずに、信念を曲げずにやり続けていると、道は開けてくる、と言い切る。

 また「せっかく、乗馬技術をここで学んでいるのだから、途中で挫折してマイナス思考のまま業界から去って行くのはもったいないと思う。途中の挫折は誰にでもあり、休むことは決して悪いことではない。また復帰してから一生懸命やれば良いだけのこと。みんなと同じ道を私も歩んできたんです。どうか安心して下さい」と33期生を激励した。

 現実問題として、調教師への道はかなりの狭き門であり、今期は関東で51名が受験、一次試験で7人に絞られ、二次の面接でさらに青木氏だけが合格した。関西での受験者数は判然としないが、合格は2人でしかないので、倍率はいずれも大差あるまい。超難関な試験になっているのが現状だ。

「BTCでは多くの仲間や教官に恵まれました。今こうして挨拶にきても、おめでとう、良かったな、と言ってもらえる人々がいることが一番うれしい」とミニ講演会を結んだ。

 ともあれ、BTC研修所から初の調教師誕生であり、後輩たちにとっても大きな目標ができたことだけは確かなようだ。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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