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旧根岸競馬場スタンドを訪ねて

  • 2016年05月14日(土) 12時00分


 先週の土曜日、横浜市中区の旧根岸競馬場スタンドを、普段見ることができるのとは反対側、つまり、コースがあった側から初めて見てきた。馬事文化財団が企画した「旧根岸競馬場スタンド見学ツアー」と並行して収録が行われた、グリーンチャンネル「草野仁のGate J. +(プラス)」の関係者として、であった。

根岸森林公園を横切ってスタンドへ。向かって右側からはいつでも見ることができるが、左側は米海軍の敷地なので、普段は入ることはできない。


 風は強かったが、空は綺麗に晴れわたり、初夏のような陽気だった。

 5月7日。時差はあるものの、日付のうえでは、武豊騎手が乗るラニが出走するケンタッキーダービーが行われた日だ。その取材にも当然魅力を感じていたが、今回のスタンド見学は、ずいぶん前に番組プロデューサーのソブさんに頼んでいたので、こちらを優先させた。本当のことを言うと、見学に加わりたいとソブさんに伝えたのは、ドバイでUAEダービーが行われる前で、ラニがそこを勝ってケンタッキーダービー出走権を手にするとは思っていなかったのだ。予想以上の強さを見せて大舞台に立つことになったラニの応援は国内からすることにし、草野仁さんをはじめとする番組関係者に合流した。

 ツアーの募集は4月上旬に締め切られており、当選した20名ほどの人が、ガイド役をつとめた馬事文化財団学芸員による解説を聞きながら、米軍施設内につながるゲートへと歩いて行った。

 今回は、米海軍当局の特別の許可を経て敷地に入るため、当日、身分証明書の確認と所持品の検査が行われた。事前に用意するよう書面で指示されていたのは、次のいずれかの書類だった。

(1)運転免許証および本籍入り住民票
(2)パスポート
(3)写真つき住民基本台帳カード
(いずれも有効期限内の原本)

このゲートを通るとき、身分証明書などを提示しなければならない。米軍担当者が、手にした名簿と、こちらが提示した書類とを照らし合わせる。


 番組出演者と関係者もつづいて敷地内に入った。

 よほど怪しい人じゃない限り入ることができるようだが、6月12日のツアーに参加される方も、所定の書類を忘れないようご注意を。

 また、ツアーの募集要項には、これは旧根岸競馬場一等馬見所を米海軍施設内から見学するツアーであり、軍施設内での写真撮影はできない、と記されていた。

 私もソブさんに、スマホでの撮影もできないのか訊いてみたら、「ダメです。つまみ出されますよ」と脅かされた。最後に全員で記念撮影をするだけで、番組収録のためのカメラも、米軍の施設側を映さない方向にしか向けられないという。

 ところが、入ってから少し経つと、ツアーに参加した人たちがスマホやデジカメでバシバシとスタンドを撮っている。

 収録に立ち会った、米海軍の担当者に、私もスタンドを撮っていいか訊くと、「いいですよ」とニコリ。

「スタンドと反対側の施設を写さなければいいんですよね?」と私。
「いやあ、もう使っていないので、こちらも構わないんですけどね」
「あ、そうなんですか。ともかく、こちらから撮ったスタンドの写真、ツイートしてもいいですか」
「どうぞ」

 確かに、敷地内の寮に人の気配はない。もはやここに軍事上の機密はない、ということか。

 これは返還も近そうだな、と思った。

 今年が開設150周年にあたる、日本初の本格的な洋式競馬場である根岸競馬場。このスタンドは、横浜の関東学院中学校旧本館、神戸のチャータードビルなどで知られる、アメリカ人のJ.H.モーガンが設計し、1930(昭和5)年に新たに建てられた。2009(平成21)年には国から「近代化産業遺産」に指定されたように、産業史においても、建築史においても価値のある建造物だ。

 それをコース側から見上げると、こちらに向かってひな壇のように傾斜していることがわかり、「競馬場のスタンド」という感じが、より強くする。

 今は建物の強度の問題で上ることはできないが、屋上に立つと、正面に横浜港、右後ろに富士山、左手にはベイブリッジと横浜ランドマークタワー……といった絶景のパノラマがひろがるという。

 長崎の軍艦島上陸ツアーが人気を集めたりという最近の「廃墟ブーム」もあるので、このスタンドの内部も見られるツアーを実施できれば、有料でもかなりの人が来るのではないか――と、ディレクターのレイと私の意見が一致した。

 ただ、返還されたとしても、耐震補強などに100億円以上の費用がかかるらしく、それを誰が負担するか、という問題がある。もし、内部を見られるようになるなら、私もときどきボランティアでガイドをするので、ソブさんの営業力で、何とか金を集めてもらえないだろうか。

 そんなことを考えながら目をとじると、ここで腕を競った、初代ダービージョッキーの函館孫作や、最年少ダービージョッキー・前田長吉の師匠だった北郷五郎らの姿が瞼の裏に浮かんでくるようだった。かのセントライトも、当時はここで行われていた皐月賞を勝ち、初代三冠馬になった。

 旧根岸競馬場一等馬見所は、その近くに立つだけで、近代競馬の黎明期に思いを馳せることのできる、荘厳なランドマークである。できる限り長く、残ってほしいと思う。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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