母の一周忌法要を終え、先日帰京した。
当歳だったスマイルジャックの娘たちを見て札幌に戻り、病室で原稿を書きながら母を看取ってから1年が過ぎた。自分の体の一部を失ったかのような痛みはそのままだが、時間が薬になっていることを感じるし、また、そうしなければならない。
母の死を理由にしたくなかったし、母も望まなかっただろうから、仕事はすべて通常どおりにこなしてきた。しかし、やはり余裕がなかったのか、気がつけば、スマイルの娘たちにずいぶん長いこと会っていない。ドラマ「絆〜走れ奇跡の仔馬〜」でリヤンドノール役を演じた2頭も、スマイルの娘たちと同い年だ。私にとって、特別な時期に天から授かった慈しむべき命なので、この縁を大切にしたい。
ダービーウィークも終盤に差しかかり、枠順が発表され、前売りが始まった。
1番人気を予想するのさえ難しいと思われたが、やはり、青葉賞を好タイムで勝ったミルコ・デムーロ騎手のアドミラブルが1番人気になるのか。それを、1枠1番を引いた武豊騎手のダンビュライトと、3週連続GI制覇を狙うクリストフ・ルメール騎手のレイデオロが追う、という図式になりそうだ。
同世代の牝馬が強いと言われているのに対し、この世代の牡馬勢は、皐月賞をコースレコードタイで走り切ってもなお、全体の評価が上がってこない。しかし、だからといって「レベルがイマイチだから今年はダービーをやめておこう」というわけにはもちろんいかず、どんな年でも、どれかがダービー馬になる。
前にも書いたように、20年前、1997年のダービーも、似たような混戦ムードだった。戦前はハイレベルという声は聞こえなかったが、終わってみたら、サニーブライアンが「強い」と思わせる逃げ切り勝ちで二冠馬となり、ほかにも、シルクジャスティス、メジロブライト、マチカネフクキタル、サイレンススズカ、ランニングゲイルなど、錚々たるメンバーが出走していた。
私は、自分が男だから思うのかもしれないが、牡馬の沽券を保つためにも、オークスの勝ちタイム(2分24秒1)を上回ってほしいと思っている。もちろん競馬は時計ではない。有馬記念の日に、同じコースで行われる条件戦のほうが有馬より速いタイムで決着することもあるが、その上位馬が有馬に出たらどうなるかは、言わずもがなだろう。
とはいえ、レコードに近い極限のタイムだけは話が別だ。サラブレッドの限界付近のタイムを計上できるのは本当に強い馬だけであることは、先日の天皇賞・春でスーパーレコードを叩き出したキタサンブラックと、それまでの保持者がディープインパクトであったことが示している。
ダービーレコードは、2015年にドゥラメンテが記録した2分23秒2。2004年キングカメハメハ、2005年ディープインパクトの2分23秒3をコンマ1秒更新した。皐月賞につづいてレコードで決着し、同世代の牝馬に負けないレベルの「高速世代」であることを証明してほしい。
と、勝手なことを書いたが、勝ち時計というのは、前に行くと思われていた馬が出遅れたり、有力馬が中団より後ろで牽制し合うなどしただけで大きく変わってくるほど、アテにしづらいものだ。だが、そのアテにしづらさを超越したものを走りで見せてほしい、と、やはり思ってしまう。
今、私が競馬を始めた1987年から順にクラシック三冠の勝ち馬を反芻してみたところ、皐月賞と菊花賞は思い出せないことはあっても、ダービー馬だけはすっと出てきた。どの年も「あの馬がダービーを勝った年」として記憶されている。それは有馬記念でも天皇賞でもなく、やはりダービーなのだ。
今年はどの馬がダービーを勝った年として、私の記憶にとどまることになるのか。そう考えると、ダービーというのは、自分の一年を決めるレースでもあることがわかる。
スタートからゴールまでの2分半ほどの戦いを、しっかりこの目に焼き付けたい。