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もうすぐ3.11

  • 2023年03月09日(木) 12時00分
 弥生賞ディープインパクト記念が行われた日、中山競馬場に行ってきた。

 今年が節目の第60回だったこのレースが現在の名称になったのは、ディープインパクトが世を去った翌年、2020年のことだった。

 今でも私は「弥生賞」とだけ言ってしまうことが多い。今年を含めた過去数年だけではなく、かつてこのレースを制したサクラチヨノオーやウイニングチケット、スペシャルウィーク、ディープインパクト、ロジユニヴァース、マカヒキといった名馬の姿や勝ち方の記憶と、「弥生賞」というレース名がセットで頭に入っているからだ。

 ここに名を記した6頭は、私が競馬を見るようになって以降、弥生賞を勝ってダービー馬となった馬たちである。サクラチヨノオーが勝ったのは1988年だから、6年に1頭の割合で、弥生賞の勝ち馬がダービー馬となっているわけだ。

 同じ期間のうちに、ここを勝って皐月賞馬となったのは、アグネスタキオン、ディープインパクト、ヴィクトワールピサの3頭のみ。

 皐月賞トライアルなのに、皐月賞よりダービーとの結びつきが強いというあたりも、弥生賞が、ただのトライアルではない、特別なレースであることがわかる。

 それだけに、今なお「弥生賞は弥生賞以外の何物でもない」という感覚でいるのは私だけではないはずだ。となると、当然「弥生賞ディープインパクト記念」という名称に馴染み切れない。もうこの名称で4回実施されたのだから、今さら言ってもせんないことではあるが、「弥生賞」と「ディープインパクト記念」をくっつけてしまったのは、何と言うか、もったいなかったと思う。

 青葉賞あたりをディープインパクト記念にすればよかったような気もするが、そのうち慣れて、「ディープ記念がさあ」とか言っているようになるのだろうか。

 慣れというのは恐ろしいもので、弥生賞の名称変更とほぼ同時期に開業した「高輪ゲートウェイ駅」という駅名にも、最近はあまり抵抗がなくなってきた。

 マスクの習慣もそうだ。コロナ禍当初は、仕事場から最寄りのJR駅まで7、8分歩く間にマスクをするのも苦痛だったのに、今はまったく気にならなくなり、ノーマスクの人間を避けて歩くのが当たり前になった。

 中山競馬場のスタンド入口には、「感染症対策のお願い」として「現在、中山競馬場では、館内およびレース観戦中のマスク着用を推奨しております」と記されたパネルがあった。強制や義務ではなく「推奨」なのだが、ほとんどの人がマスクをしていた。人にうつさないためのエチケットを互いに守る安堵感に慣れてしまうと、息苦しさよりこちらを取りたいと思う人が大半だろう。

 それはそうと、最近、競馬場に「スマッピー専用」という窓口(券売機)が多くなり、システムを理解していなかった私は使えず困っていた。私はてっきり、スマッピーというのは、スマホのアプリとクレジットカードかプリペイドカードを紐付けして、キャッシュレスで購入するためのものだと思い込んでいたのだが、単にマークシートの代わりになるものだということを、この原稿を書きながらJRAのサイトを見て知った。

 2018年からサービスが始まっているという。私はずいぶん長いこと、スマッピーの機能を誤解していた。このところ、馬券売場に置かれているマークカードが少なくなったのは、コロナ対策の入場制限による観客減に合わせただけではなく、スマッピーが浸透してきたからなのか。

 弥生賞のパドックで会った知人が、「体調はどうですか」と声をかけてくれた。十二指腸のポリープについて記した前々回のコラムを読んでくれたようだ。

 検査結果が出た。来週また胃カメラをし、ポリープの一部を取り出して組織検査をすることになった。今度は口からの胃カメラなので、麻酔をしてもらおうと思っている。

 さて、今週日曜日のフィリーズレビューに、弁護士馬主の白日光さんが所有するルーフが出走する。芝1200mを逃げて、差して、と幅のある走りで連勝してここに来た。

 生産者の坂本智広牧場には、明治時代に豪州から輸入されたサラ系の名牝ミラの末裔の取材で何度か訪れた。

 清水久詞厩舎としては、チューリップ賞で2着になったコナコーストにつづく桜花賞出走権獲得を目指すことになる。同厩舎のコンクシェルも10分後に発走するアネモネステークスに登録しており、桜花賞3頭出しとなる可能性もあるわけだ。

 その前日、3月11日で、東日本大震災の発生から12年になる。今なお行方不明になった人の捜索がつづけられている。

 世界中の誰もが被害者となったコロナによって、一部の地域を襲った天災の記憶が覆われてしまった印象がある。私自身、震災から10年の節目だった2021年にやろうと思っていたいくつものことが、主に行動制限のせいで、できなかった。それはきっと、東北の人たちも同じだと思う。「被災3県」と呼ばれた岩手、宮城、福島でも、震災関連のことよりコロナのほうが現実として大変だったはずだ。東北のニュースを見ていると、若い世代に震災の記憶を「語り継ぐ」動きを報じたものが目につく。

 今年の3月11日は、いろいろなことを「語り継ぐ」意味と大切さを、あらためて考える日にしたい。

 いつもながら、とりとめのない内容になってしまった。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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