ウイニングチケット
◆名ジョッキーがやっと手にした悲願の日本ダービー 日本がバブル景気にわいたのは、1986年から1991年にかけて。東京の山手線内の土地価格で、アメリカ全土が買えるほどの金満ぶりだった。
投資の矛先は海外に向き、アメリカのロックフェラーセンタービル、欧州のゴッホやルノワールの名画、古城などを次々と買い漁った。その「爆買い」が批判を浴びたりしたものである。競馬の世界も例外ではなかった。本来なら買えるはずのない一流馬、良血馬を次々と手に入れることができた。
やがてバブルがはじけて日本経済は大不況に陥り、どん底から抜け出せない状態が続いて「失われた10年」と言われた。だが、こと生産界に関しては「実り多き10年」となった。バブル期に購入した名馬、名牝、外国産馬、良血の繁殖牝馬たち。それらが1990年代の半ば以降、日本馬の血統レベルを飛躍的に押し上げることになったのである。
そのさきがけとなった種牡馬が、ウイニングチケットの父トニービンだった。欧州伝統の大レースとして知られる凱旋門賞の優勝馬で、オーナーのルチアーノ・ガウッチはイアリアの実業家で、サッカーチームのペルージャ会長でもあった。
馬もサッカー選手も「安く買って、高く売る」のが彼のモットー。アイルランドで安く買ったトニービンも、後にペルージャで活躍した中田英寿選手も、国内で噴出する批判など意に介さず、これ幸いと高く転売している。だが、そのおかげで日本は至宝を手に入れることができたのだった。
ウイニングチケットはそのトニービンの初年度産駒として生まれている。デビューは1992年の9月。バブルは終焉していたが、まだまだ好況だった。競馬の売上も好調で、人気もかげりはなかった。
初戦こそ敗れたが2戦目に勝ち上がり、続く葉牡丹賞、ホープフルSを3連勝。昇級戦の壁を楽に突破していった。3歳の初戦は弥生賞。世代の最強メンバーが集まったが、ここも2馬身の差で4連勝。続く牡馬クラシック第1弾の皐月賞は、単勝2.0倍の1番人気に祭り上げられた。ところが、どうしたことか4着に敗退してしまう。
捲土重来を期して迎えたのが、3歳馬の最高峰レースにして、牡馬クラシック第2弾の日本ダービーだった。皐月賞で4着に敗れながら、ここでも1番人気。ウイニングチケットの能力の高さを、それだけ多くの人が認めていた。
確かに皐月賞とはまるで違うレースぶり。最終コーナーで5番手に上がると、懸命に粘るビワハヤヒデをとらえ、外から襲ってきた皐月賞馬のナリタタイシンを振り切って、戴冠のゴールを駆け抜けた。
戴冠のゴールを駆け抜けたウイニングチケット
日本ダービーを勝つことがホースマン最大の夢。鞍上の柴田政人は名ジョッキーと謳われながら、長く勝てないでいた。引退が忍び寄る年齢を迎え、挑戦すること19回目。そこで、やっと手にした悲願の日本ダービーだった。柴田の思いを誰よりも察していたのは、ウイニングチケットだったのかもしれない。(吉沢譲治)
◆レース詳細
1993年05月30日
第60回 東京優駿(GI) 東京/芝左2400m/天候:曇/芝:良
1着 ウイニングチケット 牡4 57 柴田政人 2:25.5
2着 ビワハヤヒデ 牡4 57 岡部幸雄 1/2
3着 ナリタタイシン 牡4 57 武 豊 1.1/4
◆競走馬のプロフィール
ウイニングチケット(牡4)
父:トニービン
母:パワフルレディ
騎 手:柴田 政人
調教師:伊藤 雄二 (栗東)
馬 主:太田 美實氏
生産牧場:藤原牧場
※年齢は当時の旧年齢表記
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