◆史上空前の競馬ブームの立役者 1980年代後半の日本は、ちょうどバブル景気の絶頂期にあった。一方、サラブレッドの血統は猛威をふるったノーザンダンサー系が衰退。にわかに下剋上と化し、多種多様な血統が咲き誇っていた。
それらは谷間に咲く地味な花たちではあったが、どの血統にも、どの牧場にも、どの騎手にも、どの調教師にもチャンスがあり、夢があった。血統も人もみな個性豊かで、そこに人知を超えた波瀾万丈のシナリオがあり、ファンを魅了する演出があった。
オグリキャップも血統がマイナーなら、生まれも育ちもマイナー。そんな底辺から身を起こした地方競馬出身の馬が、中央競馬のエリートたちを次々と打ち負かし、頂点をめざしてひた走る。
それは、学歴もなくコネもない地方の若者が、都会のエリートを相手に立身出世していくのによく似ていた。そこに多くの人が共感し、オグリキャップを国民的ヒーローへと押し上げたのだった。
馬主がクラシックの登録料をケチったため、4歳牡馬の勲章となる皐月賞、日本ダービー、菊花賞に出走することができなかった。おまけに取り巻く人間は、脱税などトラブル続き。過酷なローテーションで走らされ、稼ぐことをしいられた。
それでも懸命に走り、一敗地にまみれながらも、挫折を繰り返しながらも、最後は感動のフィナーレで締めくくったオグリキャップ。まさに競馬界の『おしん』『半沢直樹』だった。だからこそ競馬を飛び超えて一般大衆に受け入れられ、若い女性までも競馬場に呼び込んだのだった。
1987年5月、岐阜の笠松競馬場でデビューしたオグリキャップは、12戦10勝の戦績を残して中央競馬へ移籍。1988年3月、初戦のペガサスS(GIII・阪神芝1600m)を皮切りに、重賞6連勝の快進撃を続ける。
中央のエリートたちは表街道のクラシックを見据えて走っており、オグリキャップのそれは裏街道で記録したものだった。しかし、そのうちの2つはレコード勝ち。非凡な能力の持ち主であることは明らかで、続くGI初挑戦となった天皇賞・秋では堂々の1番人気に支持された。
だが、タマモクロスの2着に敗れ、連勝記録はストップしてしまう。とはいえ、勝ったタマモクロスは同年の年度代表馬。続くジャパンCでも海外の強豪を相手に3着に好走したことで、オグリキャップの評価はさらに上昇していく。
そして迎えたのが、1年の総決算として有名な伝統のGIレース、有馬記念だった。天皇賞・秋を勝ったタマモクロスが1番人気、敗れたオグリキャップは2番人気に甘んじていた。だが、ここでみごとリベンジを果たし、ついに頂点に立った。
正義は最後に必ず勝つ。そのシナリオを地で演じたオグリキャップは、またたく間に人気に火がついた。これを境に国民的ヒーローへの階段を一気に駆け上がり、史上空前の競馬ブームを巻き起こしていくのである。(吉沢譲治)
◆レース詳細
1988年12月25日
第33回 有馬記念(GI) 中山/芝右 2500m/天候:晴/芝:良
1着 オグリキャップ 牡4 55 岡部幸雄 2:33.9
2着 タマモクロス 牡5 57 南井克巳 1/2
3着 サッカーボーイ 牡4 55 河内 洋 1/2+1.1/2
※3位入線スーパークリークは失格
◆競走馬のプロフィール
オグリキャップ(牡4)
父:ダンシングキャップ
母:ホワイトナルビー
騎 手:岡部 幸雄
調教師:瀬戸口 勉(栗東)
馬 主:佐橋五十雄(1988年有馬記念当時)
生産牧場:稲葉不奈男
※年齢は当時の旧年齢表記
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