クロフネ
◆日本を震撼させた黒船来襲物語はデビューから1年たらずで幕を閉じた 天才肌の馬は、走るたびに新たな資質を披露し、その怪物ぶりを上乗せしていく。才能に枯渇というものがない。
まさにクロフネがそうだった。スピード競馬には似つかわしくない、大きなゆったりとした走法で、何だか遊んで走っているようにも見えた。それでいて、2歳の新馬戦と続くエリカ賞をレコード勝ち。早くから抜けた能力を見せていた。
馬名は江戸末期の1853年、浦賀沖に来航して日本に開国を迫ったペリー率いるアメリカ艦隊の黒船に由来する。
それから1世紀以上を経て、日本の競馬界にも似た状況が起きた。生産者や馬主を守る目的から、日本は外国産馬の出走も厳しく制限してきた。この鎖国競馬に対して、海外から自由化を求める強い圧力がかかるようになったのである。
そこで段階的に門戸開放を実施。最後の砦となっていた3歳馬の日本ダービーも、頭数の制限つきながら2001年から外国産馬の出走を認めた。アメリカ産馬のクロフネが、日本ダービーを迎えるのがちょうどこの2001年だった。オーナーサイドがそれを意識して名づけたのだろう。
確かにクロフネの強さは、黒船来襲そのものだった。3歳初戦の毎日杯も2着に5馬身差。日本ダービー門戸開放元年に、いきなり外国産馬が勝つシーンが現実味を帯び、日本の生産界は戦々恐々としたものである。ただ当時は、外国産馬が日本ダービーに出走できる枠はまだ2つ。続くGIのNHKマイルCで2着以内に入ることが前提条件だった。
しかし、クロフネはここでまたも能力の違いを見せつける。先行馬に有利なスローの展開のなか、最終コーナーを回ってもまだはるか後方にいたが、永遠に続くかのような長い長い末脚を繰り出して勝利したのだ。従来の日本の常識ではあり得ないことだった。
晴れて日本ダービーに挑んだクロフネ。しかし、権利取りのNHKマイルCで死力を尽くし、そこから中2週で日本ダービーというローテーションはさすがにきつかった。それでも5着に食い込んだのは、この馬の底力と言うしかない。
外国産馬ゆえの不遇は、秋になってもついて回った。照準を天皇賞・秋に合わせたところ、賞金不足ではじかれてしまった。そこで仕方なくダートの武蔵野Sに出走する。ダートは未経験だったが、ここでクロフネはさらなる怪物ぶりを披露することになる。
東京ダートのマイル戦を、1分33秒3のレコードで勝利したのだ。2着を9馬身も突き放し、従来のレコードを1秒2も短縮していた。続いて世界の強豪を迎えてのジャパンCダート。ここでもクロフネは驚異のレコードで駆け抜けた。2着に7馬身差、従来のレコードを1秒3も短縮していた。
だが、日本を震撼させた黒船来襲物語は、ここで幕を閉じることになった。間もなくして、サラブレッドにとって当時は不治の病だった屈腱炎を発症。暮れも押し迫った12月26日、引退が発表されたのである。
デビューから1年たらず。わずか10戦。私たちが見たものは、クロフネが持って生まれた資質の、果たしてどれだけの部分だったのだろう。惜しげもなく才能を披露し、短期間に燃え尽きる。いかにも天才らしい幕引きだった。
◆レース詳細
2001年11月24日
第2回 ジャパンカップダート(GI) 東京/ダート左 2100m/天候:晴/ダート:良
1着 クロフネ 牡3 55 武 豊 2:05.9
2着 ウイングアロー 牡6 57 横山典弘 7
3着 ミラクルオペラ 牡4 57 幸英明 1/2
◆競走馬のプロフィール
クロフネ(牡3)
父:フレンチデピュティ
母:ブルーアヴェニュー
騎 手:武 豊
調教師:松田 国英(栗東)
馬 主:金子 真人氏
生産牧場:Nicholas M. Lotz
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