松山弘平騎手が少年時代に通っていた阪神競馬場の乗馬センターの恩師・斉藤正行さんとの対談[第2回]。怒られてばかりいた松山少年ですが、辞めようと思ったことはなかったそうです。ところが、一度だけ乗馬を嫌になった時期があったとか。その理由とは?
(取材・文/大薮喬介)
後輩から頼られる存在だった松山少年
松山 阪神競馬場の乗馬センターに通っていなかったら、僕はジョッキーになっていなかったかもしれません。それだけ僕にとって、乗馬センターというのは大切な場所なんです。乗馬技術のことだけではなく、さまざまなことを教えてくださった先生方のおかげで、人間的にも成長できたと思っているんですよ。
斉藤 小学5年生から高校3年生までが同じグループにいるということが大切なんだよね。その団体のなかでは、実力があるからといって優遇されるわけじゃない。年上の者には年下の面倒をしっかりとみなさいと指導をしたりね。松山くんも、後輩の面倒をよくみていたよな?
松山 はい。先生から見た僕は、どのような子供でしたか?
斉藤 中学校に上がった頃は、もうしっかりしていて、後輩から頼られる存在だったよね。
松山 そんなことはないです。ただ、僕の面倒を見てくださっていた先輩が頼りになる方たちでしたから、その姿勢を見習ってはいました。
斉藤 そういった先輩後輩の関係は、人生において大事なことだからね。今の松山くんの活躍も周りの人たちに助けられているからで、松山くんもそれを理解している。そういった人柄が、乗馬センターに通っていたおかげだと思ってくれると、私もうれしいよ。
松山 入った当初は右も左もわからなくて、先生だけじゃなく、先輩からも怒られてばかりでしたけどね(笑)。それでも楽しい思い出ばかりで、苦労したなと思うような記憶がないんです。
斉藤 記憶から消しているだけじゃない?
松山 いや、本当にないんですよ。う〜ん、あったかなぁ。ああ、でも、乗馬が嫌になった時期はありました。
斉藤 見ていて、それを感じることはあったよ。
松山 やっぱりバレていたんですね(苦笑)。乗馬センターに通うのは好きだったんです。先輩や後輩と休憩時間に遊ぶのがすごく楽しかったですから。でも、乗馬の技術がなかなか上達しなくて、何となく乗っていた時期はありましたね。
斉藤 松山くんに限ってではなく、みんなそういう時期はあるんだよ。それは行動を見ていればわかる。真剣な時期は、指導している時の食いつき方が違うからね。
松山 ですよね。でも、嫌になった時期もありましたけど、乗馬センターに行けば先輩や後輩がいるし、ジョッキーになりたいという気持ちも強かったですから、辞めようと思ったことは一度もありませんでした。それは、やはりそういった環境を作ってくださった先生たちのおかげだと思います。
斉藤 乗馬センターは朝8時から始まって、半日ほど拘束される。週末は乗馬だけになってしまうから、学校の友達と遊ぶこともできないし、ほかのこともできない。「今週は乗馬に行きたくないな」と思って当然だよ。遊びたい時期に遊べないのはかわいそうだと、私も思っていたからね。
松山 13時に終わっても、その後に馬の世話をしたりして、僕は夕方までいましたからね。
斉藤 それだけ馬との距離を大切にしたかったんだね。松山くんの場合は、日に日に乗っているバランスもよくなったし、技術もメキメキ上がっていって、中学校に上がる頃には、乗馬がすごく楽しくなっていたんじゃないかな。
斉藤正行さん「(松山くんは)日に日に乗っているバランスもよくなったし、技術もメキメキ上がっていって、中学校に上がる頃には、乗馬がすごく楽しくなっていたんじゃないかな」
松山 同じことを繰り返すわけではなくて、ひとつの技術ができるようになれば、次の技術を教わるので、その度にわくわくしていました。それに憧れていた先輩がいたので、その背中をずっと追いかけていたのも、辞めようと思わなかった理由のひとつかもしれないですね。
【次回のキシュトーークは!?】
松山少年が憧れていた先輩とのエピソードや、競馬学校受験時の悩み、恩師・斉藤さんから見た松山騎手の長所を語っていただきます。乞うご期待!