▲元調教助手の宮路満英さん、狭き門をくぐり抜けパラリンピック出場へ
今年9月に開幕するリオデジャネイロパラリンピック。前回のロンドン大会より2つ競技が増え、178の国と地域から約4350人の選手が参加する予定です。この史上最大規模のパラリンピックで、パラ馬場馬術において日本人で唯一出場が決まったのが宮路満英さん。調教助手として27年の経験の後、脳卒中により競馬界から離れることを余儀なくされましたが、再び馬の背に跨り世界の舞台で戦うことが決定。その挑戦の軌跡を追いました。
(取材・文:赤見千尋、乗馬シーン撮影場所:水口乗馬クラブ)
キャリア27年の調教助手、その人生が一転
宮路満英さんは、20歳の時に友人と共に北海道の牧場へ行き、その後22歳で栗東トレセンへ。宇田明彦厩舎、森秀行厩舎で27年間調教助手として過ごし、47歳の時に突然脳卒中に襲われた。
「今でも忘れません。7月8日の朝3時半に仕事をしようと厩舎に行ったら、周りから『フラフラしてるで』『ちょっとおかしいから休め』と言われて、大仲に行ったんです。そうしたら倒れたみたいで、そこから記憶がありません」 幸い命は助かったものの、右手足に麻痺と高次機能障害(失語症、記憶障害)が残った。倒れた当初はいつかトレセンに戻れるだろうと考えていたが、現実は厳しかった。
「一人では何もできなくなりました。それに、話したいのに言葉がなかなか出てこない。トレセンの仲間がお見舞いに来てくれても、ウンウン唸ってるだけで言葉にならないんです」▲トレセンに戻りたくても現実は厳しい。そんな苦しい日々を過ごしていた
障がい者となった宮路さんは、仕事に復帰することが叶わず調教助手を辞めた。当時は何もする気になれず、また何もすることができなかったという。家の中で妻・裕美子さんと2人、ジッと黙って過ごしていたそうだ。
「あの頃は落ち込みましたし、暗かったです。何もすることがなくて、口を開けば嫁と喧嘩ばっかりしていました。これはイカンなと思って、何かできることはないだろうかと考えたんです」 そこでリハビリの先生に相談し、以前好きだったスキーに挑戦した。しかし、スキー靴を履くだけで1時間掛かり、実際に滑ってみると足が痛くなってしまった。この時点では、再び馬に乗れる日が来るとは思っていなかったという。
強く実感した「ホースセラピー」のパワー
次に挑戦したのがマラソン。日本で行われるマラソン大会はほとんどが制限時間が決められている。しかし、ホノルルマラソンならば制限時間なしで挑戦できるということで、地道にウォーキングを続け、13時間掛けてホノルルマラソンで完走した。そうしている内に、「日本でもやりたい」という気持ちが芽生え、仲間を集めて『一歩から☆の会』を結成。障がい者や健常者が一緒に琵琶湖を走ったり歩いたりする試みは、8年続いている。
「車椅子を転がしゆっくりと休憩しながら歩いている人、ガタガタのおっちゃんたちも大勢います。でもみんな一生懸命で、本当に楽しんでいますね。それに、家族の方々がとても喜んでくれて。これからもずっと続けていきたいです」 こうして新たな楽しみを見つけた宮路さん。それでも、「いつかまた馬に乗れたら」という気持ちがなくなることはなかった。
「リハビリを兼ねて、友達のミニチュアホースと犬と散歩している時、ふと思い立って犬をミニチュアホースの背中に乗せたことがあったんです。そうしたら、ジッと動かないで上手に乗っているんですよ。それを見たら、いいな、俺も乗りたいなと思って。それで、リハビリの先生に相談したんです。そうしたら、明石乗馬協会で障がい者乗馬をやっているということを教えていただきました。久しぶりに乗った馬の背中は…、もう言葉になりません。本当に『いいな〜』と思いました。めちゃくちゃな姿勢でただ跨ってるだけなのに、ものすごく嬉しかったです」 もう一度馬に跨ることができた宮路さんだったけれど、栗東在住で明石に通うのは遠すぎる。そこで、通える範囲にある水口乗馬クラブに、障がい者でも受け入れてもらえるか打診。宮路さんの現状を知ったクラブ側が快諾し、定期的に乗馬ができるようになった。
▲馬のいる生活を取り戻した宮路さん、練習前のお手入れを自ら丁寧に行う
▲馬場に出ての練習、左手を力強く使って馬を御す
「よく、ホースセラピーっていうでしょう。あれは本当なんですよ。僕も(元騎手の)常石(勝義)くんも乗馬を初めてから、かなりしゃべれるようになったんです。今でもまだ言葉が出てこない時はあるけれど、昔と比べると全然違いますね」 ホースセラピーとは、馬に触ったり跨ったりすることで、精神的・肉体的に効果が得られるもので、古代ギリシア時代から用いられて来た。日本ではまだ知名度が低いけれど、欧米では医療と連携して様々な効果が得られることが証明されている。ホースセラピーの特徴は、『どんな人でも受け入れる』ということだ。健常者も障がい者も子供も高齢者も、すべての人がその癒しを享受することができる。こうして宮路さんは、再び馬のいる生活に戻ることができた。
しかし、それだけでは満足しないのが、長年勝負の世界で生きて来た人間である。宮路さんは次第に乗馬で上を目指すようになり、パラリンピック出場という大きな夢を掲げたのである。
(後半へつづく)
■宮路満英■
昭和32年10月29日、鹿児島県生まれ。23歳から栗東トレセンに入り、宇田明彦厩舎、森秀行厩舎で調教助手として活躍していたが、47歳で脳卒中のため退職を余儀なくされる。その後障がい者乗馬を始め、3月にリオパラリンピック出場が内定。角居調教師が尽力している
引退馬キャリア支援プロジェクト「Thanks Horse Project」に賛同している。