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【菜七子騎手の兄弟子】野中悠太郎騎手(2) 運命の一戦はダンスアジョイの小倉記念

  • 2016年07月13日(水) 18時00分
今回は中学時代や騎手試験を受験した時のことをお聞きしました


今回は、野中騎手がジョッキーを志したきっかけ。そして中学時代や騎手試験を受験した時のことをお聞きしました。当時、受験生のレベルが高くて落ちたと思ったそうです。彼のルーツに迫ります!
(取材・文/大薮喬介)


ハイレベルの体力試験「顔に似合わず、スゴい奴だな」

――騎手を志したきっかけを教えてください。

野中 実家が小倉競馬場の近くで、モノレールから競馬場を見たことはあったんですが、何をするところなのかは知らなかったんです。それで、小学校6年の頃に父親に連れて行ってもらったのをきっかけに、騎手という職業を調べてみたのが最初ですね。

――お父さまは競馬がもともと好きだったんですか?

野中 そうではなかったと思いますね、競馬を観ていることもほとんどなかったですから。僕がどんなところか行ってみたいと言っていたのと、ちょうど小倉記念がある日だったので、「じゃあ、行ってみようか」という感じだったと思います。ダンスアジョイが勝った小倉記念だったんですが、父親が馬券を当てたので、余計に印象に残っていますね(笑)。

――それはスゴい! ダンスアジョイは16番人気でしたよね?

野中 そうなんですよね。勝ち方も最後方から追い込んできてインパクトがあったし、騎手ってカッコいいなと思いました。

――それで騎手を目指すようになったんですね。

野中 最初は「カッコいいな」と思う程度だったんです。昔からわからないことはパソコンで調べるタイプだったので、競馬や騎手のことを知るうちに、目指すようになりました。もともとソフトボールをしていたのですが、体も小さくプロにはなれないと思っていた頃でもあったので、タイミングが合ったんでしょうね。

――同期の加藤祥太ジョッキーと同じですね。ソフトボールはどうして始めたんですか?

野中 3つ上の兄の影響です。本来は小学校に上がってから入れるんですが、監督やコーチが弟だとわかっていたので、年長の頃から練習に参加させていただいていました。

――それでプロ野球選手を目指すようになったんですね。小倉ということは、当然ホークスファン?

野中 ですね(笑)。ダイエーの時代から応援していて、よく北九州球場にも行っていました。終わった後にファンが乱入するのが面白かったんですよ。

――ははは(笑)。ジョッキーになりたいと思うようになってからもソフトボールは続けていたんですか?

野中 乗馬をやりたくて、一瞬辞めようと思ったことはありましたね。ただ、年長の頃からやっていましたし、チームメートのことを考えると、急に辞めることはできないと思って、最後までやり通しました。

――では、乗馬をやり始めたのは中学校に入ってから?

野中 そうですね。土日は小倉の乗馬センターに通っていました。

――まったく未経験から始めたわけですが、嫌になることはなかったんですか?

野中 最初の頃は落馬をしたりして怖いなと思うこともありましたが、それよりも乗馬ができるのがうれしくて、毎週土日がくるのが待ち遠しかったです。だから、嫌になることはなかったですね。

――平日はどうしていたんですか?

野中 両親が帰宅部になるのを嫌がったので、トレーニングも兼ねて中学校の軟式野球部に所属しました。顧問の先生が理解のある方で、平日限定の練習でいいとおっしゃってくださったので。だから、本気で野球をしている人たちに迷惑がかからないように、試合に出るつもりはありませんでしたね。本当に平日の練習だけでした。

――平日は野球、土日は乗馬をして、中学3年生の時に騎手試験を受験。確か同期の鮫島克駿ジョッキーと一緒に騎手試験を受けたんですよね。

野中 はい、サメ(鮫島克駿ジョッキー)も小倉の乗馬センターに小学5年生の頃から通っていたので。彼は上手かったので、受かるだろうなと思っていました。

――野中ジョッキーは自信はなかったんですか?

野中 小倉競馬場の一次試験は自信がありました。受験のための準備をしていましたし、周りを見ても、僕とサメは受かったなと思いました。ただ、白井の競馬学校で受けた3泊4日の二次試験は、自信がなかったです。体力試験も周りのレベルが高くて、面接も数人に厳しいことを言われたりして(苦笑)。

――体力試験はそんなにレベルが高かったんですか。

野中 そうですね。同期の加藤なんかは、シャトルランでぶっちぎりの1位だったんですよ。その年の最高記録で、140とか150はいってたんじゃないですかね。同じ部屋だったのでよく覚えているんですが、「顔に似合わず、スゴい奴だな」と思いました。

――自信がなかっただけに、合格を知った時はうれしかったでしょう?

野中 朝、学校に行く時にポストを見たら、競馬学校から大きな封筒が届いていたんです。ギリギリの時間だったんですが、もう遅刻してもいいと思って、家に入って封筒を開けたら、「合格」と書いてあって。学校に行っても、もう上の空でしたね。「やったー、もう勉強しなくてもいいや」って(笑)。
キシュトーーク

「やったー、もう勉強しなくてもいいや」って(笑)



【次回のキシュトーークU25は!?】
野中ジョッキーのインタビューも次回で最終回。同期とのエピソードトークや、師匠である根本調教師、兄弟子の丸山元気ジョッキー、妹弟子の藤田菜七子ジョッキーについて語っていただきます。

元祖「キシュトーーク」のレギュラー陣、国分恭介、国分優作、松山弘平、川須栄彦、高倉稜を中心に、栗東・美浦・地方からも幅広く、これからの競馬界を担うU25の若手ジョッキーたちが登場します!

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