▲現在繋養されているオギオギ牧場にて(写真:hammerprice.com)
日本馬としては初のドバイ遠征へ
第1回ドバイワールドCに選出されて、日本馬として初めてドバイに渡ったライブリマウント。日本を飛び立った1996年2月25日、加藤哲郎オーナーは関西国際空港に見送りに行った。
「馬運車から飛行機用の専用の台車に乗るのに戸惑いまして、30分〜40分くらいかかったんですよ。そんなに行くのが嫌やったらやめとくかと、お互い言葉が通じるのだったら言っていたかもしれませんね(笑)。そういう中でライブリマウントは飛行機に乗り込みました」
本番が3月27日だから、およそ1か月強の滞在となった。長距離の輸送、気候や環境、飼い葉や水、そして馬場の違いなど数々の課題を現地で乗り越えていき、レースが近づくと加藤オーナーも現地入りした。
「前夜祭の後、枠順抽選会で1番枠を引いたので、ラッキーという雰囲気になりました。勝ち負けというより、日本からこうして行くことができたのは名誉だと思いましたね」
アメリカの年度代表馬シガー、日本にも種牡馬として輸入されたソウルオブザマターやイギリスのペンタイアなど強豪馬たちを相手に、ライブリマウントは11頭中6着と大健闘の走りを披露する。ちなみに勝ち馬はシガーで、この勝利で14連勝を飾り、半馬身差の2着に入ったのがソウルオブザマターだった。
「レースでは内枠だったこともあり、内から(3コーナーあたりで)一旦先頭に立ちましたが、シガーをはじめとする強い馬たちが後ろに構えていましたし、4コーナーではさすがに後ろに下がりましたが、直線ではまた盛り返して伸びてきてくれました。1着のシガーから差はありましたけど、日本馬として初めて参加して、翌年以降遠征する日本馬のことを考えても、6着というのは良い結果だったのではないかなと思います。それにライブリマウントに関係する方々、新聞記者やテレビに出ている方々など1つのチームという感じで、パーティーなども皆で行動させてもらって、いろいろな方々と交流することができたのも楽しい良い思い出ですね」
だがドバイから帰国したライブリマウントに往時の勢いは戻らなかった。1997年2月一杯で柴田不二男師が引退し、厩舎解散にともなって担当の尾田厩務員が五十嵐忠男厩舎に勤務先が変更となり、ライブリマウントも一緒に移動したが、転厩初戦の名古屋大賞典5着が最高で、あとは掲示板にのることもできなかった。そして1997年6月24日の帝王賞(G1)11着を最後に競走馬登録を抹消。北海道新冠町の優駿スタリオンステーションで種牡馬入りした。