昨年はじめから新型コロナウイルスが世界的に蔓延。この期間に卒業や入社、結婚、出産など人生の節目を迎えた人たちは、人生の一大イベントを盛大にお祝いできないもどかしい状況となりました。
そうしたコロナの煽りを受けた一人が地方・高知競馬で騎手会長を務めていた上田将司騎手。会長職の任期が終わり、仲間からの勧めで韓国への遠征を決めたものの、コロナの影響で度重なる延期と開催中止を味わいました。
それでも奮闘し続けた上田騎手。いよいよ来月末、約1年にわたる韓国遠征が終わりを迎えるのを前に、いまの心境をうかがいました。コロナ禍で奮闘する地方ジョッキーの海外遠征にまつわる「ちょっと馬ニアックな世界」を覗いてみましょう。
隔離、競馬中止、ビザの手続き――帰りたくても帰れない日々
「韓国に行ってみた方がいいよ」
デビューから一貫して高知競馬で騎乗を続けてきた上田将司騎手が仲間の騎手たちからそう声を掛けられたのは2019年。金沢から期間限定騎乗でやってきていた米倉知騎手と畑中信司騎手、そして地元の先輩・倉兼育康騎手と食事をしていた席のことでした。3人はいずれも韓国に長期遠征の経験があり、「どこか他の競馬場でも乗る経験をした方がいい」という話から、韓国競馬の様子を聞き、思いが高まったのでした。
▲地方・高知競馬で騎手会長を務めていた上田将司騎手(2年前の高知2歳新馬戦)
ちょうど騎手会長の職を倉兼騎手にバトンタッチした頃。
早速、韓国に遠征の希望を出しましたが、近年の韓国は外国人騎手が多いためなのか、なかなか申請は下りず、約1年待つこととなりました。
ようやく2020年1月からの遠征の許可が下りたのもつかの間、新型コロナウイルスの脅威が世界を襲ったのでした。
一旦、渡航を取りやめ、情勢を見守ることにした上田騎手。地元の知り合いたちも「韓国に応援に行くからね!」と異国での騎乗を楽しみにしていましたが、お預けとなりました。
風向きが変わり始めたのは昨年の夏。
韓国では2月に宗教団体の集会からクラスターが発生し、日本でも大々的に報じられましたが、その後、積極的なPCR検査やインターネットを駆使して感染者の情報を国民に配信するなどの取り組みが功を奏し、新規感染者は劇的に減少。7月31日には新規感染者が31人にまで抑え込められていました。
その状況を見て、上田騎手は韓国行きを決意。8月に韓国入りすると、滞在先のアパートで自主隔離に入りました。
通訳は会社側のトラブルもあり、たった1日で辞め、部屋の洗濯機はホースが短すぎて使うと毎回大洪水。夜な夜なお風呂場で手洗いをし、脱水をかける日々でした。
さらに困ったのが食事。隔離中は一歩も外出できず頭を悩ませていると、田中正一騎手(ニュージーランドの騎手で、上田騎手の渡航前までは韓国で騎乗)と親交のあったアラン・ムンロ騎手が隣に住んでいるということもあって買い物に行ってくれたり、倉兼騎手経由で以前、畑中騎手の通訳をしていた人がご飯を買ってきてくれたほか
「アントニオというブラジル人ジョッキー(Antonio Davielson騎手)が『僕がなんでも買ってくるよ!僕も隔離のつらさを知っているからね』と部屋のドアにメッセージを貼ってくれていました。
翻訳機を使ってその英語を読み、再び翻訳機を使って『お茶を買ってきてほしい』と頼みました。『何のお茶がほしい?』『普通のお茶でいいよ。麦茶』と言ったんですけど、韓国には麦茶がないのかな!?最終的にグリーンティーということになったんですけど、紙コップと粉末の緑茶がセットになっているやつで、真夏なのに熱いお茶になりました(笑)。でも冷ましたら飲めるし、いいかなと思いました」
と、周りの人の優しさに助けられながら2週間の隔離生活を乗り越えたのでした。
ところが、韓国で再び新規感染者が100人を超え、競馬開催は再び休止に追い込まれたのでした。
「韓国はコロナが収まって、普通に競馬ができるだろうという予測で来たんですけど、自主隔離中に一気に感染者が増えて1カ月間、競馬がなくなってしまいました」
それからは来る日も来る日も、調教にだけ乗る日々。明確な競馬再開日も分からず、異国の地で出口の見えないトンネルの中に立たされました。
「みんなからは『日本に帰ったら?』と言われたんですけど、ビザの更新手続きが残っていて、帰りたくても帰れない状況でした。家族からは『何してるの!?』と言われたんですけど、何してるも何も(苦笑)」
と、もどかしかった日々を振り返ります。
リーディングトレーナーからの騎乗依頼
待ちに待ったレースが再開されたのは10月16日。
高知での7月26日のレース以来、約3カ月ぶりの実戦を迎えると、韓国3戦目となるソウル競馬5RをMOST SPEEDで外枠から先手を取って押し切り勝ち。韓国初勝利を手にしました。
▲韓国では高知と同じ勝負服で騎乗している(2年前の高知2歳新馬戦)
「神様はいるんだなと思いました。どんな重賞を勝つよりも嬉しかったです。それまでの苦労というか、全然レースに乗れなくて、帰りたいけど帰れないし、競馬もないし、という状況でしたから。スグに(赤岡)修次さんや倉兼さん、西川(敏弘)さんの奥さん、同期の吉原(寛人)や高松亮からもお祝いのメッセージが届いて、すごく嬉しかったです」
日本とは競馬のルールも馬の性質も違い、スタートから100mは真っ直ぐ走らせないといけなかったり、逃げ・先行でも道中に息を入れることはなく、「ハミを噛んでいて、抑えて抑えてっていう感じです」など、変化に戸惑いながらも、少しずつ韓国競馬にフィットしていきました。
しかし、再び韓国で感染者が増加。
今年1月からの開催が危ぶまれ、「ビジネストラックを使えば、日本で乗れるかもしれない」と一時帰国を決断しました。
それなのに、いざ帰国する頃になると変異株が出現。ビジネストラックの運用は休止され、高知の自宅で隔離の日々を過ごすこととなりました。
「子供たちには帰ることを伝えていなかったので、帰宅すると『え?パパ!どうしたの?』とビックリしていました(笑)」
小学4年生と2年生の男の子たちは突然のパパとの再会に大喜び。
一方で、韓国は1月も開催を行うことになり、またすぐに韓国に戻ることになりました。
「韓国でまた2週間の自主隔離。部屋の中で運動をしていても、いざレースに乗ると体が動かなくて、もう一度韓国競馬に慣れるのにかなり時間がかかりました」
そんな中、ソウルのリーディングトレーナーであるSONG MOON GIL調教師の馬で好成績を残し、それを機にいい馬が回ってくるようになりました。
▲色々な困難を乗り越えながら韓国になじんでいった(2年前の高知2歳新馬戦)
「僕が11月に乗せてもらって勝って、1月に他のジョッキーが乗ってダメで、次にまた僕が乗って2着からの2連勝をした馬がいます。依頼を多くいただけるようになったのはそこからですね。厳しい方で、外国人は嫌いみたいなんですけど、日本人は真面目だから、と言ってくれます」
また、韓国人騎手には日本語が喋れるジョッキーがいるようで、「その子がいつも食事とかに誘ってくれて助かっています」と、4人以下の外食はOKというルールのもと再び韓国になじんでいきました。
1歳の娘に会えないのがつらい
4月から2カ月半で7勝を挙げ、韓国での通算勝利数は10となりましたが、「7月いっぱいで一旦帰国しようと思っています」とのこと。そこにはコロナ禍ならではの事情が積み重なっていました。
「本来なら、1日に最大9鞍まで騎乗できるのですが、今は土日2日間で計8鞍しか乗ることができません。それに、コロナがなければ1カ月に1回くらいは1泊2日の弾丸ツアーで家族にも会えたんでしょうけど、それも叶いません。昨年1月に生まれた1歳の娘の存在が大きくて、今は家族と会えないのが一番つらいです。年明けに帰国していなかったら、たぶん気持ちが続かなかったかなと感じます。
いま、ようやく韓国の競馬に慣れてきた感覚がありますけど、今回の遠征期間が終わる7月末で一旦帰国して、もしコロナが収まってまたチャンスがあれば韓国に来ようかなと思います。日本での競馬も面白いですが、韓国は魅力的だし新鮮です。日本とはやることが全然違うのでね」
コロナがなければ、韓国遠征はもっと有意義なものになったでしょう。
競馬場でしか馬券を発売できない韓国は、賞金も大幅に減額されています。
しかしコロナ禍だからこそ、アントニオ騎手の優しさや家族の大切さが実感できたのかもしれません。
多くの苦難を乗り越えた上田騎手がまた高知競馬に戻ってくる日を楽しみにしています。
▲多くの苦難を乗り越えた上田騎手の今後の活躍に期待(2年前の高知2歳新馬戦)